「木綿」の版間の差分

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=== 日本 ===
日本へは[[799年]](延暦18年)[[三河国]]([[愛知県]][[西尾市]]天竹町(てんじく=[[天竺]])と言われるが、『[[日本後紀]]』には三河国としか書いてない)に漂着した[[崑崙]]人(現在の[[インド人(自称]]。真偽・詳細は不詳。[[天竹神社]]の項目参照。)によってもたらされ栽培が開始されたが、1年で途切れたという。この崑崙人は各地を廻り、栽培法を伝えたとされている。 主にこの後、綿は[[明]]や[[朝鮮]]からの輸入に頼ることになり、故に長い間高級品であった。その後、連続して栽培され一般的になるのは、16世紀以降とされる。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]後期からは全国的に綿布の使用が普及し、三河などで綿花の栽培も始まり、[[江戸時代]]に入ると急速に栽培が拡大。各地に綿花の大生産地帯が形成され、特に[[畿内]]の[[大阪]]近郊などにおいて生産が盛んになった。[[木綿問屋]]も形成され、綿花産業は大きな産業となり、綿を染める染料の[[藍]]や綿花栽培に欠かせない肥料となる干鰯などの関連産業も盛んとなった。
 
[[明治]]以降、政策により綿布の生産が強化されたこともあり、[[1930年代]]には綿布の輸出量が世界一となった。ただし、[[両税廃止運動]]などを通じて安い原料が日本に入るようになり、日本の綿花栽培は衰退する。[[第二次世界大戦]]時は綿布の輸出は停止したが、戦後復活し、再び世界一になった。ただしその後は安価なアジア産の綿布に押され、生産量は減少している。個人やグループ単位での生産はあるが、統計上の国内自給率は0%となっている。