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===ライフW型12気筒===
[[ファイル:W12 Engine .jpg|thumb|right|240px|ライフ製W12エンジン([[グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード]]2009にて)]]
もう一つのW型12気筒エンジンは[[イタリア]]の[[ライフ_(F1)|ライフ・F1チーム]]によって[[1990年のF1世界選手権]]に投入されたものである。このエンジンの開発を担当したのは[[1949年]]から[[1979年]]まで[[スクーデリア・フェラーリ]]のエンジンデザイナーとして活躍した[[フランコ・ロッキ]]であり、基本設計は彼自身が[[1967年]]に開発に携わった498ccの実験用[[W型3気筒]]エンジン及び、このエンジンを6個結合した試作W型18気筒エンジンのデザインが元になっている。
 
ロッキが1967年当時開発したW型3気筒エンジンは、MGNエンジンのように各バンクのコネクティングロッドが直接クランクピンに接続されるのではなく、中央のマスターコンロッドに3つのスレーブコンロッドが接続されて[[クランクシャフト]]を回転させる構成を採っていた。これにより各シリンダー間のオフセットを非常に狭く取る事ができ、クランクピンの長さを短縮する事にも成功していた。なお、ロッキがデザインしたW型エンジンは、かつてフェラーリもF1に投入していた[[水平対向エンジン]]の真上に[[直列エンジン]]を追加したような外見であると形容される事もある。
 
このエンジンは1967年当時の時点でも開発に手間取った上に、当時のレギュレーションの問題([[1972年]]に12気筒を超える気筒数のエンジンが禁止された)で世に出ることなく終わっていたが、ロッキはフェラーリを去った後、10数年の雌伏の時を経てイタリア人ビジネスマンのアーエルネスト・ビタをパトロンに迎え、自身が設計したW型エンジンの性能を世に問う為だけにライフを立ち上げたのである。しかし、当時のシャーシデザイナーやF1関係者の多くは既に過去の人間となって久しいロッキ自身及び、ロッキのデザインの実用性を疑問視し、ライフへの協力者は当初から極めて少なかった。その為、ライフはエンジンのみならずシャーシまでも全て自製せざるを得ない苦しい体制のままシーズンを迎えため、熟成不足のシャーシと信頼性が一向に上がらずろくに予選ラウンドも走りきれないW型12気筒エンジン自体の問題も相まって、結局は全戦[[予備予選 (F1)|予備予選]]落ちという悲惨な結末に終わっている。
 
==関連項目==