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アルマリクの名は13世紀にはじめて歴史にあらわれ、[[耶律楚材]]や[[丘長春|長春真人]]の旅行記には「阿里馬里城」と記される。この名は[[テュルク諸語|テュルク語]]で「[[リンゴ]]のなる場所」を意味し、イリ川渓谷でリンゴが栽培されていたことに由来していると考えられる。
 
アルマリクが歴史にあらわれた頃、イリ地方一帯の遊牧地には[[チンギス・カン|チンギス・ハーン]]の次男[[チャガタイ]]の所領([[ウルス]])が置かれ、[[14世紀]]初頭にいわゆる[[チャガタイ・ハン国]]が形成されるとその中心都市となった。まもなく、チャガタイ・ハン国が東西に分裂すると東チャガタイ・ハン国に入り、クルジャを中心に[[ジュンガリア]]から[[バルハシ湖]]南岸に至る一帯は[[ペルシア語]]で「{{仮リンク|モグーリスタン|en|Moghulistan}}」と呼ばれるようになる。
 
14世紀中頃には東チャガタイ・ハン国の再建者でモグーリスタンの遊牧民たちを[[イスラム教]]に改宗させた[[トゥグルク・ティムール]]がこの地を本拠地とし、[[1362年]]に亡くなるとアルマリクに葬られた。その後も[[モグーリスタン・ハン国]]と呼ばれるトゥグルク・ティムールの後裔たちはこの地方を拠点としたが、[[15世紀]]に入るとカザフスタンの草原地帯に[[ウズベク]]や[[カザフ]]が興って圧迫を受け、モグーリスタンのハンたちは草原地帯を捨てて[[タリム盆地]]の[[オアシス]]都市に移っていった。ウズベクによる破壊を受けたアルマリクも衰亡し、イリ地方の中心都市としての機能はクルジャに移って歴史から姿を消した。