「アブドゥル・マリク」の版間の差分

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'''アブドゥル・マリク・パフラワン'''([[1963年]] - )は、[[アフガニスタン]]の政治家、軍人。大将。[[ラシッド・ドスタム|アブドゥルラシード・ドーストム]]が率いる[[アフガニスタ{{仮リ民族ク|イスラム運動]]民族|en|National Islamic Movement of Afghanistan}}の有力者だったが、[[アフガニスタン紛争 (1989年-2001年)|アフガニスタン内戦]]中に裏切った。
 
==経歴==
*1992年 - 大佐に昇進し、副師団長となる。
 
=== アフガニスタン内戦 ===
1992年のナジーブッラー政権崩壊後、ラスールと共に、[[ラシッド・ドスタム|アブドゥルラシード・ドーストム]]将軍が率いるアフガニスタン民族イスラム運動民族に加わり、その対外関係局長、中将となった。
 
兄ラス-ルは、アフガニスタン北部のウズベク人住民中に勢力を拡大することを目論見、1994年、[[ブルハーヌッディーン・ラッバーニー]]に対して軍事行動を開始し、[[ターリバーン]]とも交渉を始めたが、1996年に暗殺された。同年、アブドゥルは、兄の代わりにファリャーブ州知事となった。
 
=== マザーリシャリーフの戦い ===
{{main|{{仮リンク|マザーリシャリーフの戦い|en|Battles of Mazar-i-Sharif 1997-1998}}}}
1997年5月19日、弟のゴリと共に、ドーストムの退陣を要求し、ターリバーンに対して戦線を開放した。その結果、5月25日にターリバーンは、[[マザーリシャリーフ]]に入城した。5月27日、交渉が妥結しなかったため、アブドゥルは、ハザーラ人部隊と共にターリバーンに対して戦闘行動を再開した。5月27日~28日の間、約3千人のターリバーン部隊は撃滅され、外務相ゴウス師、航空相マンスール師等が捕虜となった。大部分の捕虜は、マリクの命令により銃殺された。
 
1997年5月29日、自らをアフガニスタン民族イスラム運動民族の党首と宣言した。ドスタムが国外に逃亡したため、1997年5月~8月の間、マリクは、事実上、アフガニスタン北部のウズベク人の指導者となった。
 
1997年8月~9月、ドスタムがマザーリシャリーフに戻ると、マリクの甥(弟ゴリの息子)がドスタムの娘と結婚し、ドスタムの息子がゴリの娘と結婚するという政略結婚で和解した。
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