「ドースト・ムハンマド・ハーン」の版間の差分

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[[画像:Dost Mohammad Khan of Afghanistan.jpg|thumb|ドースト・ムハンマド・ハーン]]
'''ドースト・ムハンマド・ハーン'''([[1793年]] - [[1863年]][[6月9日]])は、[[アフガニスタン]]の[[国王]](在位[[1835年]] - [[1863年]])。[[カル]]の統治者だった[[ムハンマド・アズィーム]]の弟。バラクザイ部族ドゥー家出身。
 
1826年、[[ハーン]]を宣言して国家を建て、1835年からは国王(アミール)となった。イギリスは、ロシアに対抗するためにアフガニスタン国内への軍の進駐を要求したが、ドースト・ムハンマドは、これに対してペシャワールの回復という対価を要求した。アフガニスタンの強化を望まないイギリスは、旧王家サドザイの[[シュジャー・シャー]]と手を結ぶことを選び、1838年、アフガニスタンに対し宣戦を布告した。
 
アフガニスタンに侵攻したイギリス軍は、1839年8月、カルを占領し、シュジャー・シャーを国王とすることができた。ドースト・ムハンマドは、中央アジアのブハラに亡命し、その後、帰還して再び抵抗するもののイギリスに敗れ、1840年11月に投降して英領インドに連れ去られた。
 
しかし、[[第一次アフガン戦争]]と呼ばれるこの戦争では、各地で侵略軍に対する反乱が勃発し、大損害を出したイギリス軍は、戦争の継続を断念せざるを得なかった。