「綸言汗の如し」の版間の差分

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== 日本での受容 ==
[[鎌倉時代]]に成立したとわれる『[[平家物語]]』の『頼豪(らいごう)』に、[[三井寺]]の僧、[[頼豪]]が[[白河天皇]]を評して「てんしには たはぶれの ことば なし。'''りんげん あせのごとし'''とこそ うけたまはつて さふらへ<ref>[http://www.j-texts.com/ 日本文学電子図書館]</ref>。」(天子には戯れの言葉は無い。「綸言汗の如し」とうではないか。)と言ったと書かれている。
 
[[室町時代]]に成立した『[[太平記]]』巻第十四・『将軍御進発大渡・山崎等合戦事』には「かく計たらさせ給ふ'''綸言の汗の如く'''になどなかるらん去程に正月七日に、義貞内裏より退出して軍勢の手分あり。」との記述がある<ref>[http://j-texts.com/sheet/thkm.html 太平記・国民文庫本・全巻]</ref>。
 
[[明治時代]]に編纂された事典『[[古事類苑]]』にも「綸言如汗」の項が作られている<ref>[http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/ 電子化古事類苑]</ref>。
 
== 類似の事例 ==