「ジョージ・ベスト」の版間の差分

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=== 選手時代 ===
====マンチェスター・ユナイテッド時代====
15歳でトライアルに合格したが、英国サッカー協会の規定によりクラブは17歳以下の選手とプロ契約を結ぶことが禁じられていたため、週給4ポンドで靴の手入れや更衣室、トイレの掃除といった雑務をこなしつつチームで練習に励んだ<ref>川端[2010: 63-64]</ref>。1963年5月22日、17歳の誕生日にマンチェスター・ユナイテッドとプロ契約を交わした<ref>川端[2010: 67]</ref>。リザーブチームが所属するセントラルリーグでトップチームへの昇格を目指して研鑽を重ねていたが、1963-1964シーズンの9月14日[[ウェストブロムウィッチ・アルビオンFC]]戦、鼠径部を負傷していたイアン・モイアーの代役として7番ライトウィンーで先発出場し、トップチームデビューを果たし、1-0の勝利に貢献した<ref>川端[2010: 73-76]</ref>。英国『ガーディアン』紙はこの試合のジョージ・ベストについて「ベストのサッカーは時として質の高いものだが、未熟さも見せた。(中略)六五分にベストはスタイルズにショートパスを入れて、それがゴールにつながった」と戦評している<ref>川端[2010: 77]</ref>。その後、レギュラーのイアン・モイアーが怪我から復帰したため、次の試合からはまたもリザーブチームで過ごしたが、12月28日の[[バーンリーFC]]戦で再び出場し、左足で初ゴールを決めた<ref>川端[2010: 79-81]</ref>。バーンリー戦の活躍でレギュラーに定着し、リーグ戦17試合に出場、4得点を挙げたが、チームは勝ち点4差で[[リヴァプールFC]]に届かず2位に終わった<ref>川端[2010: 82]</ref>。また、FAカップでは三回戦から準決勝でウェストハム・ユナイテッドに敗れるまでの全ての試合に出場し、3得点を記録している<ref>川端[2010: 82]</ref>。欧州カップ戦ではスポルティング・リスボンとの試合に出場し、欧州デビューを飾っている<ref>川端[2010: 82]</ref>。マンチェスター・ユナイテッドでの活躍が認められたベストは[[サッカー北アイルランド代表|北アイルランド代表]]に初招集され、1964年4月15日の[[サッカーウェールズ代表|ウェールズ]]戦で初出場した<ref>川端[2010: 83]</ref>。17歳での代表デビューは最年少出場記録であった<ref>川端[2010: 83]</ref>。この頃のベストは、17歳でデビューしたこと、右ウイングにポジションしていたこと、ドリブルが得意なことなどから往年の名手[[スタンリー・マシューズ]]と比較されることが多かった<ref>川端[2010: 84]</ref>。
 
1964-65シーズンは序盤こそチームとしての調子が上がらなかったが、新加入の[[ノビー・スタイルズ]]との連携がかみ合ってくるにつれて勝ち点を重ねていき、最終的に26勝9分7敗で首位リーズと並んだ<ref>川端[2010: 86]</ref>。僅かながらマンチェスター・ユナイテッドが得点率差で逆転したため、8シーズンぶりにリーグ優勝を果たした<ref>川端[2010: 86]</ref>。ベストは代表戦で欠場した1試合を除いて全ての試合にフル出場し、通算10得点を挙げて優勝に貢献した<ref>川端[2010: 87]</ref>。2年目にして既にチームに欠かせない主力選手へと成長したベストは、活躍の度に全国紙に大きく掲載されるようになり、知名度が飛躍的に高まった<ref>川端[2010: 89]</ref>。