「ジョージ・ベスト」の版間の差分

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=== 死去 ===
2005年、[[インフルエンザ]]でクロムウェル病院に入院していたベストは、肝臓移植手術後に服用していた[[免疫抑制剤]]によって腎臓の[[感染症]]にかかり、2か月もの間闘病生活を送った<ref>川端[2010: 235]</ref>。しかし病状は回復せず、11月25日午後11時55分に死亡した<ref>川端[2010: 10]</ref><ref>[http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/4380332.stm Football legend George Best dies] - BBC NEWS 2009年4月24日閲覧</ref> <ref>[http://jp.uefa.com/footballeurope/news/kind=2/newsid=371802.html ジョージ・ベスト氏が死去] - UEFA.com 2009年4月24日閲覧</ref> <ref>[http://jp.uefa.com/footballeurope/news/kind=2/newsid=372277.html ベスト氏の訃報に世界中が哀悼] - UEFA.com 2009年4月24日閲覧</ref>。ベストの死去はイングランドの国民的関心事として大きく取り上げられ、病院前やオールド・トラフォードでは多くの人々が参集して哀悼の意を表した<ref>川端[2010: 10]</ref>。サー・マッド・バズビー・ウェイにはメッセージを綴ったカードや手紙と共に多くの花束やユニフォームが敷き詰められ、実家のあるベルファストでも混乱を避けるため弔問者のための記帳台が市庁舎に設けられるなどの対応が取られた<ref>川端[2010: 10]</ref>。翌日の[[ブーリン・グラウンド|アプトン・パーク]]では、マンチェスター・ユナイテッドとウェストハム・ユナイテッドが試合を予定していたが開始前にはトレヴァー・ブルッキングが追悼の辞を述べ、ベストを称える拍手が鳴り響いた<ref>川端[2010: 11]</ref>。11月30日、オールド・トラフォードで行われたマンチェスターユナイテッドの試合では1分間の黙祷が捧げられ、ビートルズの[[イエロー・サブマリン (曲)|イエロー・サブマリン]]を替え歌にしたベストの[[チャント]]が観客席から贈られた<ref>川端[2010: 11]</ref>。12月2日の葬儀の日、ベストの遺体を載せた霊柩車はバレン・ウェイを出発し、ストーモントまでの道をゆっくりと進んだ<ref>川端[2010: 12]</ref>。ベストの最後を見送ろうと道の両側には幾重にも人垣が作られ、その中には後にベルファストの壁に大書されるスローガンを掲げる人もいた<ref>川端[2010: 12]</ref>。
 
{{quotation|''Maradona good, Pele better, George BEST'' <ref>川端[2010: 12]</ref>}}
 
ストーモントの敷地内に到着すると、2万人以上の人々が見守る中、[[ハリー・グレッグ]]やデニス・ローといったかつてのチームメートによってベストの棺は祭壇へと運ばれると、司会を務めたキャスターのエイノン・ホームズは最後の別れを告げた<ref>川端[2010: 14]</ref>。およそ1時間に渡ったこの葬儀は[[英国放送協会|BBC放送]]によって生中継で世界中へ届けられ、イギリス全体で450万人、全世界で2300万人が視聴したと記録されている<ref>川端[2010: 14]</ref>。
 
2006年5月、ベルファルト・シティ空港が[[ジョージ・ベスト・ベルファスト・シティ空港]]と改称された<ref>川端[2010: 243]</ref>。2006年11月、1周忌を記念して彼の肖像画が描かれた5ポンド紙幣が[[アルスター銀行]]によって発行された<ref>川端[2010: 244]</ref>。通常なら北アイルランド銀行で発行された紙幣はイングランドでは流通することは無いが、その功績を讃えて英国全土及び[[アイルランド]]で流通する事になった。2008年5月29日、[[オールド・トラッフォード]]の外にベスト、[[デニス・ロー]]、[[ボビー・チャールトン]]のブロンズ像が完成した<ref>川端[2010: 244]</ref>。