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|党名 =ウスタシャ
|党首職名 =党首
|党首氏名 =アンテ・パ
|公用語名 = {{lang|it|Ustaše}}
|画像 =Ustase symbol.svg
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|その他 =
}}
'''ウスタシャ'''('''Ustaše''')は、[[クロアチア]]に存在した[[民族主義]]団体。[[ファシズム]]政党で[[アンテ・パ
== 概要 ==
[[第一次世界大戦]]後に誕生した[[ユーゴスラビア王国]]は建国当初から[[セルビア人]]に国の中枢が牛耳られており、民族意識が強いクロアチア人の反発が絶えなかった。ウスタシャはクロアチア人のこうした反セルビア感情に付け込んで勢力を伸ばした。打倒セルビアの為には暴力も厭わないパ
ユーゴスラビア政府はウスタシャを取り締まったがその後もクロアチア人によるテロは止む事が無かった。
[[Image:Ustasamilitia.jpg|350px|thumb|right|ヤセノヴァッツ収容所で今まさに処刑される収容者。手前は彼ら自身の手で掘削させられた墓穴である。彼らは墓穴の縁に跪かされ、背後から銃殺され、重力に従い墓穴に転落する。クロアチア人の労働力を必要以上に浪費しない“効率の良い”埋葬方法であった]]
パ
この期間中に70~100万人ものセルビア人が殺害されたと言われているが、正確な数ははっきりしていない。一方、セルビアも「[[チェトニック]]」と呼ばれる組織がクロアチア人を迫害しており、この双方の遺恨は後の冷戦終結後に勃発する[[ユーゴスラビア紛争]]において再燃する事となる。
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旧ユーゴスラビア王国政府関係者の抵抗組織としては「チェトニック」が存在したが、セルビア人が主流であり、旧体制と同じく様々な問題を抱えた組織であった。士気が低い彼らに代わりユーゴを解放したのは、[[パルチザン (ユーゴスラビア)|パルチザン]]の闘士[[ヨシップ・ブロズ・チトー]]であった。
1945年にクロアチア独立国は崩壊し、行き場を失ったパ
一時的にせよ、ヒトラーの援助を受けながらクロアチアの独立を果たしたパ
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[クロアチア独立国]]
* [[アンテ・パ
* [[ザ・ドム・スプレムニ]] - ウスタシャのスローガン
* [[大クロアチア]] - ウスタシャが目指したクロアチアの版図
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