「ウスタシャ」の版間の差分

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|党名 =ウスタシャ
|党首職名 =党首
|党首氏名 =アンテ・パヴェリッチ
|公用語名 = {{lang|it|Ustaše}}
|画像 =Ustase symbol.svg
|その他 =
}}
'''ウスタシャ'''('''Ustaše''')は、[[クロアチア]]に存在した[[民族主義]]団体。[[ファシズム]]政党で[[アンテ・パヴェリッチ]]を指導者とし、[[クロアチア人]]による独立国民国家の樹立を目指した。[[農民]]を主体とする反資本主義を政治綱領に掲げていた。しかし反資本主義を目指していながら私有財産制は認められており、[[カトリック教会|ローマ・カトリック]]の思想を強く受けているのが特徴である。
 
== 概要 ==
[[第一次世界大戦]]後に誕生した[[ユーゴスラビア王国]]は建国当初から[[セルビア人]]に国の中枢が牛耳られており、民族意識が強いクロアチア人の反発が絶えなかった。ウスタシャはクロアチア人のこうした反セルビア感情に付け込んで勢力を伸ばした。打倒セルビアの為には暴力も厭わないパヴェリッチは民族意識を煽り、同じくユーゴスラビア政府と対立していた[[ブルガリア]]の[[内部マケドニア革命組織]]などと連携し、ユーゴスラビア政府に関係する機関へ[[テロ]]を繰り返した。ウスタシャと内部マケドニア革命組織の協力によるテロとして、[[1934年]]に当時のユーゴスラビア国王[[アレクサンダル1世 (ユーゴスラビア王)|アレクサンダル1世]]が、フランス訪問中に[[暗殺]]されるという事件も起きている。
 
ユーゴスラビア政府はウスタシャを取り締まったがその後もクロアチア人によるテロは止む事が無かった。
 
[[Image:Ustasamilitia.jpg|350px|thumb|right|ヤセノヴァッツ収容所で今まさに処刑される収容者。手前は彼ら自身の手で掘削させられた墓穴である。彼らは墓穴の縁に跪かされ、背後から銃殺され、重力に従い墓穴に転落する。クロアチア人の労働力を必要以上に浪費しない“効率の良い”埋葬方法であった]]
ヴェリッチは当初イタリアの[[ファシスト党|ファシスト党首]][[ベニート・ムッソリーニ]]から援助を受けていたが、やがて北の[[ナチス・ドイツ]]とも関係を強化し、[[1941年]]のユーゴスラビアに対するナチス侵攻を契機に[[クロアチア独立国]]を設立した。パヴェリッチは独立と同時に[[国家元首]]となり、[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]やムッソリーニを真似て単一政党による[[独裁]]国家を樹立する。他の政党はすべて非合法化され、ナチスを真似た[[親衛隊]]も創設した。また国内に[[強制収容所]]を建設しセルビア人は元よりユダヤ人やジプシー、更には同胞のクロアチア人の反対派を大量に逮捕・収監した。特に悪名高い[[ヤセノヴァッツ収容所]]は「バルカンの[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所|アウシュヴィッツ]]」と呼ばれている。また、ウスタシャの部隊は地方でセルビア市民を虐殺しその虐殺現場にカトリック司祭を同行させ自らの行為を正当化した<ref>こうしたウスタシャの行動は彼らを支援し同じく残虐行為を専門としたナチスの保安警察及び保安諜報部の[[特別行動部隊]]でさえ「衝撃的」であり、「セルビア人迫害の先鋭化が近い将来クロアチアを抑制の効かない不穏地域になるおそれがある」(ドイツ外務省情報局、1941年7月2日)と本国に報告される程であった</ref>。以後1945年に至るまで、クロアチア国内では凄惨な殺戮劇が繰り広げられた。
 
この期間中に70~100万人ものセルビア人が殺害されたと言われているが、正確な数ははっきりしていない。一方、セルビアも「[[チェトニック]]」と呼ばれる組織がクロアチア人を迫害しており、この双方の遺恨は後の冷戦終結後に勃発する[[ユーゴスラビア紛争]]において再燃する事となる。
旧ユーゴスラビア王国政府関係者の抵抗組織としては「チェトニック」が存在したが、セルビア人が主流であり、旧体制と同じく様々な問題を抱えた組織であった。士気が低い彼らに代わりユーゴを解放したのは、[[パルチザン (ユーゴスラビア)|パルチザン]]の闘士[[ヨシップ・ブロズ・チトー]]であった。
 
1945年にクロアチア独立国は崩壊し、行き場を失ったパヴェリッチはスペインへ亡命する。そこでフランコ政権の保護を受けながら、新生ユーゴ領内やヨーロッパ各地に潜伏しているウスタシャ残党と連絡を取り合い、再び祖国復権の夢を実現させようとしたがその夢はかなわず、彼自身はこの地で果てている。
 
一時的にせよ、ヒトラーの援助を受けながらクロアチアの独立を果たしたパヴェリッチであるが、彼自身は終始暴力を肯定しており、その過剰な政策が後の[[ユーゴスラビア紛争]]の遠因になったと言われる。
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
<div class="references-small"><references /></div>
== 関連項目 ==
* [[クロアチア独立国]]
* [[アンテ・パヴェリッチ]] - ウスタシャの指導者
* [[ザ・ドム・スプレムニ]] - ウスタシャのスローガン
* [[大クロアチア]] - ウスタシャが目指したクロアチアの版図
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