「足柄県」の版間の差分

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[[1868年]](慶応4年)[[6月29日 (旧暦)|6月29日]]、[[明治政府]]は韮山代官所に代えて'''[[韮山県]]'''を設置し、相模国、伊豆国内の旧幕府領・旗本領をその管轄とした(ただし、相模国内の旧幕府・旗本領の一部は[[神奈川県|神奈川府]]の管轄とされた)。
 
[[1871年]](明治4年)[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]、[[廃藩置県]]によって藩が廃止され、それぞれ[[小田原県]]、[[荻野山中県]]、[[六浦県]]となった。しかし、この段階の県域は多くの[[飛地]]を持つ従来の藩領を基本的に引き継いだものであり極めて錯綜していた。
 
同年、上記錯綜への対処として、[[関東地方]]で第1次府県統合が行われ、相模国の西半と伊豆国全域をもって'''足柄県'''が設置された<ref>[http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40022968&VOL_NUM=00006&KOMA=232&ITYPE=0 明治4年太政官布告第594号] - [[国立国会図書館]]近代デジタルライブラリー</ref>。
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ただし、相模国[[高座郡]]は、[[日米修好通商条約|安政の五ヶ国条約]]による外国人の遊歩区域に含まれることから[[神奈川県]]の所属に改められ、[[相模川]]が神奈川県との境界となった。これにより、小田原県、荻野山中県、韮山県が統合され、上記区域内に分布していた六浦県などの飛地も管轄下に編入された。一方で、韮山県が従来管轄していた[[武蔵国]]内などの区域は神奈川県などの管轄下に編入された。
 
[[1876年]](明治9年)、第2次府県統合により相模国が'''神奈川県'''に、伊豆諸島を含む伊豆国が'''[[静岡県]]'''に合併され、足柄県は廃止された<ref>[http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40022968&VOL_NUM=00011&KOMA=73&ITYPE=0 明治9年太政官布告第53号] - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー</ref>。
 
== 沿革 ==