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1970年代最初のシーズン(メトロポリターノ1970)でもリーグ優勝を飾った。1972年には3度目のコパ・リベルタドーレス優勝を果たし、1975年まで4連覇を成し遂げたほか、1976年にもベスト4となった。1972年大会決勝では[[ウニベルシタリオ・デポルテス]](ペルー)を、1973年大会決勝では[[CSDコロコロ]](チリ)を、1974年大会決勝では[[サンパウロFC]](ブラジル)を、1975年大会決勝では[[ウニオン・エスパニョーラ]](チリ)を破っている。1972年と1974年のインターコンチネンタルカップには敗れたが、1973年大会では[[ユヴェントスFC]](イタリア)を破り、4度目の出場で初優勝を飾った。なお、1975年大会は試合そのものが中止となっている。1970年代のインデペンディエンテは黄金期を迎え、12個の主要タイトルを獲得している。国内リーグで4個(メトロポリターノ1970、メトロポリターノ1971、ナシオナル1977、ナシオナル1978)、コパ・リベルタドーレスで4個(1972、1973、1974、1975)、インターコンチネンタルカップで1個(1973)、[[コパ・インテルアメリカーナ]]で3個(1973、1974、1975)である。コパ・リベルタドーレスでの4連覇はクラブ最大の成功に数えられる。この時代のチームは[[リカルド・ボチーニ]]と[[ダニエル・ベルトーニ]]のコンビで有名となった。
 
1978年1月25日に行われたナシオナル1977最終節・[[タジェレス・デ・コルドバ]]戦は、クラブの歴史で最も記憶に残る試合として知られている。ホームでのファーストレグに1-1で引き分け、コルドバでの最終戦は1-1の同点であったが、残り15分の段階でタジェレスが疑惑の得点を挙げた。この結果、インデペンディエンテの選手は抗議を行ったが、主審はインデペンディエンテの3人の選手にレッドカードを提示して退場処分とした。わずか8人での戦いを余儀なくされ、残り時間も少ない中、インデペンディエンテはベルトーニのアシストからボチーニが信じられない得点を挙げて同点に追いついた。2試合合計3-3となったが、アウェーゴールルールによってインデペンディエンテのリーグ優勝が決定した。メトロポリターノ1983でも優勝し、1984年には7度目のコパ・リベルタドーレス優勝を遂げて大会最多優勝クラブとなった。同年には日本の東京で行われたインターコンチネンタルカップに出場し、[[イアン・ラッシュ]]を擁する[[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]王者の[[リヴァプールFC]](イングランド)と対戦した。1-0で激闘を制し、同大会2度目の優勝を果たした。クラブが1980年代に得た最後の重要なタイトルは1988-89シーズンのリーグ優勝である。38試合で58得点32失点、22勝11分5敗を記録した。[[ホルヘ・ソラーリ]]監督に率いられたチームには依然として策士ボチーニがおり、[[カルロス・アルファロ・モレノ]]がリーグ得点王となった。通算740試合に出場して107得点を記録したボチーニは、1991年に現役引退を表明した。ボチーニは1972年にデビューしてから20年間をインデペンディエンテのみに捧げた[[リスト・オブ・ワン・クラブ・マン|ワン・クラブ・マン]]であり、4度のリーグ優勝や8度の国際大会優勝の立役者であったが、彼の引退によって組織の崩壊からクラブの凋落が始まった<ref name="暗黒時代からの帰還">{{cite news |url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/1011/other/text/201012130006-spnavi.html |title=インデペンディエンテ、暗黒の時代からの帰還 |work=スポーツナビ |date=2010-12-16 |accessdate=2012-08-08}}</ref>。
 
=== 1990年代以降 ===