「ステファニー・グリフィス=ジョーンズ」の版間の差分

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==略歴==
*1947年 - 生まれる。
*1970年〜1972~1972年 - チリ中央銀行の公共分野信用部門部長となる。
*1971年 - [[チリ大学]]の経済学商業工学科を卒業する(B.A.)。
*1972年〜1977~1977年 - [[イギリス]]の[[ケンブリッジ大学]]で学ぶ。
*1977年〜2000~2000年 - [[サセックス大学]]の開発調査研究所([[IDS]])の研究者、のちにシニア研究者となる。
*1981年 - [[ケンブリッジ大学]]でPh.D.をえる(博士論文「過渡期における金融の役割」)。
*1994年 - [[チリ]]、[[サンチャゴ]]のUN CEPALで金融部門のシニア上級コンサルタントとなる。
*2000年 - 連邦コモンウェルス事務局の国際金融長となる。
*2005年 - UNDESAでGDPリンク債の仕事をする。
*2005年 - シニアオフィシャルUNDESAとなる。
*2000年〜2007~2007年 - [[サセックス大学]]の開発調査研究所([[IDS]])の教授フェローとなる。
*2008年現在 - [[ニューヨーク]]の[[コロンビア大学]]にある政策対話イニシャティヴの役員理事となる。
*この間、欧州委員会、世界銀行、米州開発銀行、国連関連(国連開発計画、ユニセフ、DESA、ECLAC)などのアドバイザーとなる。
 
==経済分析と政策への貢献==
===初期の論文===
*'The Growth of Multinational Banking, the Euro-currency Market and their effects on developing countries', 1980年.
*経済発展と実体経済のために国内および国際金融制度をより安定化する必要があるとし、開発途上経済への過度の国際銀行貸出の危険に対して警告した。
===ラテンアメリカの債務危機===
*Debt and Development Crises in Latin America: The End of An Illusion, with Osvaldo Sunkel, 1986年.
*1980年代のラテンアメリカ債務危機は地域の経済発展に対し否定的効果を示した。彼女は、ラテンアメリカとアフリカ・サブサハランに対する債務救済の主導者であった。
===グローバル資本フロー===
*1990年代、Ricardo Ffrench-Davis(リカルド・フレンチ=デイビス)と資本規制や[[金融危機]]の問題を主張した。彼女は、ラテンアメリカがどのように不安定な資本フローを抑制し、管理するかという議論に貢献した。また、資本規制のような十分な措置が実行できない場合の金融危機のリスクを警告した。
*1990年代半ばから、過度で不安定な資本供給国の資本フロー規制を主張し始め、1998年の著書(Global Capital Flows: should they be regulated?, 1998年)でさらに議論した。
===国際金融アーキテクチャー===
*国際金融アーキテクチャーの改革の議論について、彼女はとくに金融規制およびより効果的な金融危機管理を通じた危機防止の分析に貢献した。例えば、民間資本フローが急激に引き上げられるとき、公的流動性を提供するひとつの手段として、[[IMF]]による特別引き出し権([[SDR]])問題を主唱した。また、金融危機または他の外部的ショックに直面して、国が彼らの経済を不必要に
調整することがなく、拡大され、より条件の少ないIMF貸出を主唱した。
===国際金融制度の改革===
*1990年代後期から、ホセ・アントニア・オカンポ(Jose Antonio Ocampo)と共著を出している。国際金融制度のカウンター・サイクリカル改革の概念を、安定化する資本フローと国内民間貸出を促進させて発展させた。狙いは、しばしば高くつく危機を避け、マクロ経済管理を容易にし、そして発展途上国に安定した包括的な経済成長を達成することであった。
*彼女は、大きく、速やかで、より少ない融資条件の外部ショックに直面して、IMFで保障融資の改革を主唱した。同様に、拡大された開発銀行とカウンター・サイクリカル貸出について早くからの支持者であった。彼女はまた、金融危機のリスクを減らすカウンター・サイクリカル・メカニズムのように、GDPリンク債の問題も主唱した。これらの方法は、実用的金融システムの改革を目的としており、高くつかない金融危機なしで経済成長を支える。