「マドンナの歌手活動の歴史」の版間の差分

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== 2005年 - 2009年: コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロアからハード・キャンディー==
2005年1月15日、[[スマトラ島]]沖地震・津波のチャリティ番組"[[ツナミ・エイド|Tsunami Aid]]:A Concert of Hope"に出演。マドンナはロンドンから出演し、ツアーでも歌った[[ジョン・レノン]]の「イマジン」を披露する。7月2日、世界9ヵ国で開催された「[[LIVE 8]]」でロンドン会場に出演。「ライク・ア・プレイヤー」「レイ・オブ・ライト」「MUSIC」の3曲を披露した。[[8月16日]]、47歳の誕生日に記念としてプレゼントされた新しい馬にロンドン郊外のウィルトシャー州にある自宅の敷地内で乗馬していたところ、落馬。病院に運ばれたがその日のうちに退院。鎖骨と手首を骨折、肋骨3本にひびが入る全治3ヶ月と診断された。重傷にもかかわらずアルバム発売の予定を遅らせず精力的に活動。10月21日には「Re-インヴェンション・ツアー」の模様やプライベートなど私生活の内容を収めた14年ぶりのドキュメンタリー作品『アイム・ゴーイング・トゥ・テル・ユー・ア・シークレット』を制作。10月に米[[MTV]]で初OA公開する。
10月17日、新アルバムからの先行シングル「[[ハング・アップ]]」がリリースされた。る、70年代のディスコを意識し、[[11月ABBA]]の「Gimme Gimme Gimme」を[[サンプリング]]した。11月、第11枚目のアルバム『[[コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア]]』を発売。全曲がノンストップのダンスチューンで構成され、ファーストシングル「[[ハング・アップ]]」は、[[ABBA]]の「Gimme Gimme Gimme」を[[サンプリング]]した。日本では同アルバムが[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の『[[ドラマ・コンプレックス]]』と[[タイアップ]]し、アルバムの全曲が週替わりで主題歌に起用される。特に[[11月8日]]放送で使われた「Future Lovers」は世界初OA公開となった。11月3日、ポルトガル・[[リスボンのアトランティック・パヴィリオン]]で開催された「[[MTV]] Europe Music Awards 2005」のオープニングでマドンナは新曲「ハング・アップ」を初パフォーマンス。アルバムは全世界40ヶ国のチャートで第一位、シングル「ハング・アップ」は全世界41ヶ国のチャートで第一位を記録し、それぞれ「ギネス・ワールド・レコ-ズ」でポップ・ミュージック史上、No.1最多獲得国数と認定される。一方「ハング・アップ」は米ビルボードHOT100でTOP10入りを果たし、全米TOP10シングル最多36曲を保持しているエルビス・プレスリーの記録に並んだ。売り上げは、自身最高となる全米で870万枚を記録。12月5~9日、アルバムのプロモーションのために1993年以来となる通算5度目の来日を果たす。プロモーション来日としては1985年以来、実に20年ぶりとなる。記者会見、Stadio Coastでのクラブイベント、『[[めざましテレビ]]』の単独インタビュー、『[[SMAP×SMAP]]』の収録を行った。
2006年2月8日、米ロサンゼルスにあるステープルズ・センターで開催された[[第48回グラミー賞]]のオープニングでヴァーチャル・バンド、ゴリラズとマドンナが共演。開催前からこの共演が大きな話題を呼んだ。マドンナは、「ハング・アップ」を披露、ジャン=ポール・ゴルチエがデザインしたによる薄紫色のレオタード姿で貫禄のパフォーマ「ハグ・アップ」見せつけた披露。グラミー授賞式の後にロサンゼルスの病院に入院。ヘルニアの手術を受けた。症状は軽く、日頃からダンスやヨガで鍛えてるため回復も早かった。アルバム『[[コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア]]』が全世界40ヶ国でアルバムチャートNo.1を獲得。ポップ・ミュージック史上、No.1最多獲得国数という新記録を樹立した。更に、1stシングル「ハング・アップ」も全世界41ヶ国でシングルチャートNo.1を獲得し、アルバム&シングル共にNo.1最多獲得国数という新記録を樹立させた。5月、通算6度目となる2年ぶりのワールドツアー「[[Confessions Tour|コンフェッションズ・ツアー]]」が2006年5月21日のロサンゼルス公演を皮切りにスタートする。北米を廻ったあと、欧州、そして9月には13年ぶりとなる日本公演が東京と大阪で行われた。特に東京公演の2日目は本ツアー最終公演となり、前日の公演の評判を聞きつけた観客が当日券販売に並び、ステージセットの柱等でステージが見えにくい見切席にも観客が入る程であった決定。7月、1991年公開のドキュメンタリー映画『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』以来、15年ぶりとなるドキュメンタリー映画第2弾『[[アイム・ゴーイング・トゥ・テル・ユー・ア・シークレット]]』がリリースされた。マドンナ彼女初のDVD&CDの2枚組セットでリリースで、世界各国で大ヒットしていされる。8月23日、日本だけの来日記念盤として『[[コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア]]~Japan Tour Edition』がリリース。オフィシャルとしては初の「ハング・アップ」「ソーリー」のPVとそのメイキング映像を収録したDVDが付いた2枚組。同時に、1990年代~2000年前半にかけてリリースされたアルバムが限定生産として再リリースされた。9月14日、マドンナが2005年12月以来の9ヶ月ぶりに来日を果たす。関西国際空港には約1000人のファンと報道陣が朝から集まり、マドンナを歓迎した。9月16,17日に京セラ大阪ドームで公演。大阪でのコンサートは、1987年の「Who's That Girl Tour」の大阪球場(当時)以来、実に19年ぶり。2日間の大阪公演で約6万人を動員した。オークション形式で販売された特別席は初日に最高41万円の価格が付きワイドショーなどでも報じられた。9月19日夜、ルイ・ヴィトン六本木店で開催されている写真家スティーヴン・クレイン&マドンナのコラボ映像芸術展「X-STaTIC PRO=CeSS」のオープニング・ゲストとしてマドンナ本人が登場。見に来ていたお客や報道陣からは、大歓声が沸き起こった。ちなみにマドンナはその場でショッピングも楽しみ、サングラスとレザージャケットを購入(お値段はサングラス6万4千円、ジャケットが54万5千円、税抜き価格)。翌日のワイドショー系番組で話題になった。 9月20,21日に東京ドームで公演。東京ドーム公演は1993年の「Girlie Show Tour」以来、実に13年ぶり。初日は、全国各地から4万5000人のファンが東京ドームに集結した。東京初日の公演では大阪と同様、特別席は50万円の値が付いた。東京公演2日目は本ツアー最終公演となり、前日の公演の評判を聞きつけた観客が当日券販売に並び、ステージセットの柱等でステージが見えにくい見切席にも観客が入る程であった。マドンナはステージからフロアへ降りファンと握手したり、「[[レイ・オブ・ライト]]」ではダンサーがヒーロー戦隊のお面を被って踊ったり(マドンナ本人も知らなかった)、「Japanese Do It Better」とプリントされたTシャツでパフォーマンスしたりした。10月4日、マドンナは自家用飛行機でアフリカ南部のマラウイの首都リロングウェに到着。目的は、エイズ孤児を支援するため500万ドルの慈善事業を展開し、その進展状況を視察するため。この慈善事業で、300万ドル(3億5400万円)をかけ、リロングウェ郊外に約1000人の孤児を収容できる孤児院を設立する計画を立てている。更にマドンナはデヴィッド・バンダ君(1歳)を養子に迎え、マラウイの高裁は養子縁組の仮決定を出した。これで、長女と長男と合わせ、3児の母となる。しかし、これらについて[[マドンナ養子縁組問題]]として全世界で論争を巻き起こす。2007年度版の『ギネスブック』でマドンナは「地球上で最も稼いだ女性シンガー」として認定された。これまでの記録は、2000年にブリトニー・スピアーズが稼いだ3,800万ドル(約45億円)が最高だったが、2004年に5,000万ドル(約59億円)を稼いだマドンナがタイトルを奪い取った。映画『[[プラダを着た悪魔]]』のイメージソングとして『コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア』のシングル「ジャンプ」が起用された。更に、1990年の「ヴォーグ」がオリジナル・アルバム以外では初となるサウンドトラックに収録されている。11月、「コンフェッションズ・ツアー」のロンドン公演の模様が米・NBCテレビで放映された。日本では12月30日に[[WOWOW]]が放送した。
 
2006年2月8日、米ロサンゼルスにあるステープルズ・センターで開催された[[第48回グラミー賞]]のオープニングでヴァーチャル・バンド、ゴリラズとマドンナが共演。開催前から、この共演が大きな話題を呼んだ。マドンナは、「ハング・アップ」を披露、ジャン=ポール・ゴルチエがデザインした薄紫色のレオタード姿で貫禄のパフォーマンスを見せつけた。グラミー授賞式の後にロサンゼルスの病院に入院。ヘルニアの手術を受けた。症状は軽く、日頃からダンスやヨガで鍛えてるため回復も早かった。アルバム『[[コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア]]』が全世界40ヶ国でアルバムチャートNo.1を獲得。ポップ・ミュージック史上、No.1最多獲得国数という新記録を樹立した。更に、1stシングル「ハング・アップ」も全世界41ヶ国でシングルチャートNo.1を獲得し、アルバム&シングル共にNo.1最多獲得国数という新記録を樹立させた。5月、通算6度目となる2年ぶりのワールドツアー「[[Confessions Tour|コンフェッションズ・ツアー]]」が2006年5月21日のロサンゼルス公演を皮切りにスタートする。北米を廻ったあと、欧州、そして9月には13年ぶりとなる日本公演が東京と大阪で行われた。特に東京公演の2日目は本ツアー最終公演となり、前日の公演の評判を聞きつけた観客が当日券販売に並び、ステージセットの柱等でステージが見えにくい見切席にも観客が入る程であった。7月、1991年公開のドキュメンタリー映画『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』以来、15年ぶりとなるドキュメンタリー映画第2弾『[[アイム・ゴーイング・トゥ・テル・ユー・ア・シークレット]]』がリリースされた。マドンナ初のDVD&CDの2枚組セットでのリリースで、世界各国で大ヒットしている。8月23日、日本だけの来日記念盤として『[[コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア]]~Japan Tour Edition』がリリース。オフィシャルとしては初の「ハング・アップ」「ソーリー」のPVとそのメイキング映像を収録したDVDが付いた2枚組。同時に、1990年代~2000年前半にかけてリリースされたアルバムが限定生産として再リリースされた。9月14日、マドンナが2005年12月以来の9ヶ月ぶりに来日を果たす。関西国際空港には約1000人のファンと報道陣が朝から集まり、マドンナを歓迎した。9月16,17日に京セラ大阪ドームで公演。大阪でのコンサートは、1987年の「Who's That Girl Tour」の大阪球場(当時)以来、実に19年ぶり。2日間の大阪公演で約6万人を動員した。オークション形式で販売された特別席は初日に最高41万円の価格が付きワイドショーなどでも報じられた。9月19日夜、ルイ・ヴィトン六本木店で開催されている写真家スティーヴン・クレイン&マドンナのコラボ「X-STaTIC PRO=CeSS」のオープニング・ゲストとしてマドンナ本人が登場。見に来ていたお客や報道陣からは、大歓声が沸き起こった。ちなみにマドンナはその場でショッピングも楽しみ、サングラスとレザージャケットを購入(お値段はサングラス6万4千円、ジャケットが54万5千円、税抜き価格)。翌日のワイドショー系番組で話題になった。 9月20,21日に東京ドームで公演。東京ドーム公演は1993年の「Girlie Show Tour」以来、実に13年ぶり。初日は、全国各地から4万5000人のファンが東京ドームに集結した。東京初日の公演では大阪と同様、特別席は50万円の値が付いた。マドンナはステージからフロアへ降りファンと握手したり、「[[レイ・オブ・ライト]]」ではダンサーがヒーロー戦隊のお面を被って踊ったり(マドンナ本人も知らなかった)、「Japanese Do It Better」とプリントされたTシャツでパフォーマンスしたりした。10月4日、マドンナは自家用飛行機でアフリカ南部のマラウイの首都リロングウェに到着。目的は、エイズ孤児を支援するため500万ドルの慈善事業を展開し、その進展状況を視察するため。この慈善事業で、300万ドル(3億5400万円)をかけ、リロングウェ郊外に約1000人の孤児を収容できる孤児院を設立する計画を立てている。更にマドンナはデヴィッド・バンダ君(1歳)を養子に迎え、マラウイの高裁は養子縁組の仮決定を出した。これで、長女と長男と合わせ、3児の母となる。しかし、これらについて[[マドンナ養子縁組問題]]として全世界で論争を巻き起こす。2007年度版の『ギネスブック』でマドンナは「地球上で最も稼いだ女性シンガー」として認定された。これまでの記録は、2000年にブリトニー・スピアーズが稼いだ3,800万ドル(約45億円)が最高だったが、2004年に5,000万ドル(約59億円)を稼いだマドンナがタイトルを奪い取った。映画『[[プラダを着た悪魔]]』のイメージソングとして『コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア』のシングル「ジャンプ」が起用された。更に、1990年の「ヴォーグ」がオリジナル・アルバム以外では初となるサウンドトラックに収録されている。11月、「コンフェッションズ・ツアー」のロンドン公演の模様が米・NBCテレビで放映された。日本では12月30日に[[WOWOW]]が放送した。
 
2007年1月下旬に、ライヴDVDとしては通算4枚目となる『[[コンフェッションズ・ツアー・ライヴ]]』(DVD+CD)がリリースされた。東京・[[有明 (江東区)|有明]]に大規模マンション『ブリリア・マーレ有明』が開発されるのに合わせ、広告キャラクターにマドンナを起用する。プロジェクト名は『STYLE MADONNA TOKYO ARIAKE』でマドンナの名前が入っている。2月11日(現地時間)、ロスで開催された[[第49回グラミー賞]]にて『[[コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア]]』が最優秀エレクトロニック/ダンス・アルバム部門を受賞した。他にノミネートされていた最優秀ダンス・レコーディング部門(「ゲット・トゥゲザー」)と最優秀・長編ミュージック・ビデオ部門(「アイム・ゴーイング・トゥ・テル・ユー・ア・シークレット」)は受賞を逃した。3月19日付のオリコン・アルバムチャートで『[[コンフェッションズ・ツアー・ライヴ|THE CONFESSIONS TOUR]]』が初登場10位を記録。これで日本でのTOP10作品は17作となり、ビートルズのアルバムTOP10獲得作品数と並び歴代タイに。4月16日、デイヴィットと長女ローデスと共に2度目のマラウイを訪問した。今回は、子供の医療施設の建設などのチャリティ活動の手伝いのために訪問した。5月中旬にはダウンロードのみの新曲「Hey You」を発表。[[ファレル・ウィリアムス]]との共同プロデュース。7月7日に地球温暖化への興味を高めるために世界7都市で同時開催された『[[ライブ・アース]]』に出演。イギリス会場のトリを務め、「Hey You」をはじめ「Ray of Light」「La Isla Bonita」「Hung Up」の4曲を披露。ギターパフォーマンスを披露した。米経済誌「フォーブス」のウェブサイトが発表したミュージシャン長者番付でマドンナが第3位にランクイン、7200万ドル(約82億7000万円)を稼ぎ出した。10月には、デビュー満25年を迎えた。10月16日、米国の最大手コンサートプロモーション会社[[ライブ・ネーション]]と10年間の包括的契約(アルバム3枚の発売・ライブツアー・商標権等)を締結[http://www.madonna.com/news/news-story/1046]。報道では1億2000万ドル(約140億円)の契約金と同社の株式を受け取るとされる。25年にわたって所属したワーナー・ミュージック・グループを去ることになる。近年はレコード業界全体の売上が低迷する一方、マドンナらベテランアーティストがツアーで商業的に成功する例が目立ち、音楽業界の構造が変化している。過去に例がない今回の大型契約はその潮流を反映するものとして注目を集めている。12月13日、マドンナの「[[ロックの殿堂]]入り」が決定した事が殿堂の運営団体から発表された。授賞式は2008年3月10日に行なわれ、プレゼンターはジャスティン・ティンバーレイクが務めた。
 
2008年、16日、5月スタートの月9ドラマ『[[CHANGE (テレビドラマ)|CHANGE]]』の主題歌をマドンナが担当することが発表された。制作側からダメモトでマドンナにオファーしたところ快諾。ドラマのために書き上げたという「マイルズ・アウェイ」を完成させた。ちなみに、マドンナがドラマ主題歌を務めるのは世界初のこと。
4月29日には、通算12作目のオリジナル・アルバム『[[ハード・キャンディー]]』を発表。プロデューサーには[[ジャスティン・ティンバーレイク]]、[[ティンバランド]]、[[ファレル・ウィリアムス]]ら。本作がワーナーからの最後のオリジナルアルバムとなる。4月20日付の全英チャートで、第一弾シングル「[[フォー・ミニッツ]]」が通算13作目のNo.1を記録した。女性アーティストとしては、単独1位である。『ハード・キャンディー』は世界36ヶ国でNo.1を獲得。8月23日から通算7度目のワールドツアー『[[Sticky & Sweet Tour|スティッキー・アンド・スウィート・ツアー]]』がスタート。初日はイギリスのカーディフ。
 
[[10月15日]]にマドンナの[[広報]]リズ・ローゼンバーグがリッチーとの離婚を正式に発表した。
 
2009年、米ビルボード誌が発表した高所得者リスト「Moneymakers」によると、2008年の収入が2億4217万ドル(約220億円)に上ったことが判明した。その大半はワールドツアーの「[[Sticky & Sweet Tour]]」の収益によるもので、楽曲のセールスよりもコンサートによる収益の方が総収入においてはるかに割合を占めていることがわかった。[[9月30日]](海外は[[9月28日]])に彼女の全キャリアを総括したベストアルバム『[[セレブレイション~マドンナ・オールタイム・ベスト~]]』が発売。このベストは1枚単体と2枚組との同時発売がされた。また同タイトルのビデオ・コレクションも発売された。
 
[[9月30日]](海外は[[9月28日]])に彼女の全キャリアを総括したベストアルバム『[[セレブレイション~マドンナ・オールタイム・ベスト~]]』が発売。このベストは1枚単体と2枚組との同時発売がされた。また同タイトルのビデオ・コレクションも発売された。
 
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