「凌雲会」の版間の差分

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政治手法としては、[[花斉会|野田グループ]]同様、与党と政策で勝負する対案路線を掲げている。反面、政局や選挙を軽視しているとか、経験が浅くワキが甘いと批判されることも多い。小沢派との対立は、こうした政治手法の差に由来する部分もある。前原代表体制での党運営、特にいわゆる[[堀江メール問題]]ではこの弱点が露呈することとなった。
 
=== [[花斉会]]との関係 ===
凌雲会と野田グループとの交流はあるものの、[[2002年]](平成14年)の代表選で支援し、凌雲会結成のきっかけとなった野田はいまだ凌雲会に参加しておらず、志士の会さらにその後身である花斉会を自ら主宰している。しかしながら、凌雲会と野田グループは、政策的には野田グループのほうが[[保守]]色が強く、主張が共通しているとはいえないものの、経済政策や外交路線については共通しており、また経歴や年齢など民主党内の立場や、いわゆる政治と金の問題や国会における対案路線など政治手法の近さから、政策集団として共同歩調を取ることが多く、[[2006年]](平成18年)の代表選でも凌雲会の前原誠司を一致して支援し、[[2011年]](平成23年)の[[2011年民主党代表選挙|代表選]]では野田・前原のどちらかが出馬した上で一致して支援する方向で調整が進められていたが、調整は難航して前原・野田ともに出馬することになった結果、野田が代表に選出された<ref>前原・野田の他に[[海江田万里]]・[[鹿野道彦]]・[[馬淵澄夫]]の5人が出馬。得票数が過半数に達した候補者はいなかった為、野田と海江田の決戦投票となった。決戦投票では凌雲会は野田に投票した。</ref>。このため両グループをまとめて前原・野田グループあるいは前原・枝野・野田グループと呼ぶこともある。