「嵐になるまで待って」の版間の差分

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原作は1991年に成井が書いた小説『あたしの嫌いな私の声』。オーディションの課題(『メアリー・ポピンズ』→『ナルニア国物語』)・最初に『二つ目の声』を聞いた状況(中継映像→その場に居合わる)・高杉の生死(原作では死亡するが舞台ではケガで留まる)・クライマックスシーンでの舞台(事務所の一室→波多野姉弟が宿泊しているホテル)など、舞台化される際に設定は大きく変更されている。
 
初演当時成井は別の公演の演出を担当しておらずいた為、[[劇団ショーマ]]の高橋いさをが演出を担当した。<ref>[[成井豊]]『嵐になるまで待って』論創社、2002年初版、282頁より引用</ref>
再演で成井が演出担当をする事になったキッカケにろう者についてちゃんと勉強し、[[手話]]コーディネーターである妹尾映美子に協力を依頼。その後、テレビで『[[アイ・ラヴ・ユー (映画)|アイ・ラヴ・ユー]]』の撮影風景の紹介番組に出ていた主演でろう者である[[忍足亜希子]]を見て次の雪絵役にしたいと想い、一緒に紹介番組に出ていた妹尾に紹介して貰うように手紙を書く。忍足はオファーを受け、2002年の再々演にて雪絵役を演じた。<ref>[[成井豊]]『嵐になるまで待って』論創社、2002年初版、277~280頁より引用</ref>
(この公演をキッカケに、忍足は2009年劇団員の[[三浦剛]]と結婚した。)