「ルミエール旧地下発酵槽」の版間の差分

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その後、2代目である降矢虎馬之甫(こまのすけ)により[[1894年]](明治27年)企業体に改組され、生産量の拡大および販路の開拓が行われ、以降[[屋号]]を「甲州園」として長年にわたり葡萄酒醸造業を営み、[[1992年]]([[平成]]4年)に同社のワイン[[商標]]「ルミエール」に社名変更し今日に至っている<ref>山本博 (2008)、p.278</ref>。
 
同社の立地する京戸川扇状地の傾斜地は、水はけが良くブドウ栽培に適していただけでなく、扇状地の[[伏流水]]による[[地下水]]を利用した天然の冷却効果を得られることから、定温性に優れた地下式のワインセラーやタンクを造成するのにも適しており<ref>[http://www.taisei.co.jp/about_us/library/column/kindai/19yamanashi/1207031579781.html 週朝日「大いに成るほど近代化遺産編」2001年9月21日号] 大成建設ライブラリー2012年3月1日閲覧。</ref>、2代目虎馬之甫自らヨーロッパ式の石蔵発酵槽を参考に設計し、また[[神谷伝兵衛]]([[シャトーカミヤ]]・[[神谷バー]]の創設者)の指導を受け<ref name="Lumiere"/>、[[1901年]](明治34年)4月に、扇状地の傾斜を利用した日本初のヨーロッパ型横蔵式ワイン醸造専用半地下貯蔵庫、地下発酵槽が建設された<ref name="kindaika">山梨県教育委員会編 (1997)、p.134</ref>。
 
この発酵槽は主に赤葡萄酒の発酵に使用され、大量の原料ブドウを投げ入れ、発酵後職人が槽の中に入り、手作業でブドウを破砕して仕込みを行っていた<ref name="kindaika"/>。その後、金属製醸造タンクの普及に伴い、地下発酵槽は使われなくなった時期があったが、登録有形文化財の登録を契機に、地下発酵槽での醸造が再び行われるようになった。