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==来歴==
祖父は[[ブフ|モンゴル相撲]]で7度優勝したアヴァルガ(横綱)。大勇武にモンゴル相撲の経験はなかったが、芝田山親方([[横綱]]・[[大乃国康|大乃国]])がモンゴルに出向いて新弟子を募集したときに応募して、参加者約40名の中から唯一選ばれて入門し、[[2001年]](平成13年)3月場所で[[初土俵]]。初土俵から7場所連続で勝ち越し[[三段目]]までは順調に出世したが、体重がないために押し相撲力士を苦手にして[[幕下]]目前で足踏み、2場所遅れて入門した同じモンゴル出身の[[大翔地健太|大翔地]]にも[[番付]]で抜かれてしまった。
 
その後も体重が増えてきた[[2006年]](平成18年)9月場所から翌11月場所にかけて10連勝し、[[2007年]](平成19年)1月場所は十両目前の幕下上位に番付を上げてきたが、幕下上位の壁に跳ね返された。その後しばらく幕下上位を彷徨っていたが、[[2008年]](平成20年)3月場所では見事幕下優勝を飾り、3月26日の番付編成会議では、5月場所の新十両昇進が決定、芝田山部屋初の[[関取]]となった。しかし、5月場所では5勝10敗と大きく負け越して幕下に陥落。1場所での十両復帰をかけた翌7月場所でも、3勝4敗と負け越し、これ以降勝ち越しは2場所のみと低迷した。
 
[[2010年5]](平成22年)5月場所後、一身上の都合により同年6月7日をもって現役を引退したことが芝田山部屋公式ホームページの掲示板において発表された。幕下以下時点では引退届は提出されておらず、7月場所後番付あったため、日本相撲協会から正式に引退発表は即時には行われずに翌7月場所後に行われた。これについては、師匠が断髪式を行わずに師匠自身で大勇武の髷を切ったと一部の雑誌で伝えているが、真相は一切不明である。9月6日、これに関して当人から、引退は親方から強制されたものであるとして損害賠償を求める訴訟と暴行罪での被害届が提出されている事が明らかになった。親方はこれにより29日書類送検されたが、[[2011年1]](平成23年)1月に不起訴(起訴猶予)処分となっている。<ref>元大乃国の芝田山親方を起訴猶予処分 弟子暴行事件 [[朝日新聞|アサヒ・コム]] 2011年1月25日</ref>。芝田山親方と[[日本相撲協会]]に約7000万円の損害賠償を求める訴訟も、[[2012年]](平成24年)12月21日に[[東京地方裁判所]]で和解が成立している。
 
なお祖父は[[ブフ|モンゴル相撲]]で7度優勝したアヴァルガ(横綱)であったが、大勇武はモンゴル相撲の経験はない。
 
==主な成績==