「スコット・マクレーン」の版間の差分

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{{by|1990年}}の[[ドラフト会議 (MLB)|MLBドラフト]]22巡目で[[ボルチモア・オリオールズ]]に指名され契約。[[ニューヨーク・メッツ]]を経て、{{by|1998年}}に[[タンパベイ・レイズ|タンパベイ・デビルレイズ]]で[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]デビュー。しかし、目立った活躍はできず、翌{{by|1999年}}オフに解雇された。{{by|2000年}}は[[コロラド・ロッキーズ]]傘下のAAA級[[コロラドスプリングス・スカイソックス|コロラドスプリングス]]でプレーした。
 
{{by|2001年}}に[[東尾修]]監督率いる[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]に入団。同じ年に入団した[[アレックス・カブレラ]]とのコンビは「'''ツイン・バズーカ'''」と称され、この年は39[[本塁打]]を放った。翌{{by|2002年}}は飛躍が期待されたが手首の故障でシーズンの大半を棒に振ってしまう。復活した{{by|2003年}}は26本塁打を放つも、外角の[[変化球]]に弱いという弱点を覚えられたことで.225の低打率にあえぎ、[[ホセ・フェルナンデス]]と入れ替わる形で西武を解雇された。
 
{{by|2004年}}は[[シカゴ・カブス]]とマイナー契約を結んでいたが、カブレラが故障し、長距離砲の補強が急務だった西武に4月末に復帰した。しかし打率.181、本塁打4本と大きく期待を裏切って同年限りで再び解雇された(同年、二軍では桁違いの実力を見せ、23本塁打で[[イースタン・リーグ]]の本塁打王に輝いている)。なお、この年のマクレーンは[[野球の背番号|背番号]]「'''00'''」を使用したが、この数字が使われたのは西武ライオンズ球団史上初だった。