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'''紀元前371年'''は、[[ローマ暦]]の年である。当時は、「[[護民官]]も[[執政官]]もいない5年目の年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、[[ローマ建国紀元]]382年)。[[紀年法]]として[[西暦]](キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前372年と表記されるのが一般的となった。
 
== できごと ==
=== ギリシア ===
* 新たな和平会談が[[スパルタ]]で開催された。その席で、スパルタ王[[アゲシラオス2世]]は([[アテナイ]]の支援を受けて)、[[テーバイ]]が[[ボイオーティア]]全域を代表して署名することを認めなかった。ボイオーティア連合を代表する5人の行政長官[[ボエオターチ]] ([[:en:Boeotarch|boeotarch]]) のひとりであったテーバイの将軍で政治家の[[エパメイノンダス]]は、テーバイの立場を譲らず、結局、和平協定からテーバイは排除された。
*和平会談の場におけるテーバイの振る舞いは、スパルタとテーバイの間で戦いを引き起こすことになった。スパルタは、テーバイの西部境界に軍を展開し、外交的勝利を確保するため、軍事的攻撃を潰そうと手ぐすねを引いていた。しかし、[[レウクトラの戦い]]でテーバイの将軍たち、[[エパメイノンダス]]と[[ペロピダス]]は、もうひとりのスパルタ王 [[クレオンブロトス1世]]が率いたスパルタ軍に対して決定的な勝利を得、クレオンブロトス1世は戦闘中に戦死した。この戦闘でエパメイノンダスは、最初に、敵方の最も弱いところではなく、最も強いところに、圧倒的な戦力を集中して攻めかかる、という革新的な戦術を用いて勝利を得た。この戦いの結果によって、ボイオーティア連邦は救われた。
* テーバイがより攻撃的になることを恐れていたアテナイは、テーバイの勝利を歓迎しなかった。スパルタに対する勝利の後、テーバイは[[ペルシア帝国]]との同盟関係を復活させた。
* スパルタがテーバイに予想外の敗北を喫したことで、[[アルカディア]]は再び独立した。アルカディア人たちは[[マンティネア]]を再建し、[[アルカディア同盟]]を結んで、新たな連邦都市として[[メガロポリス (ギリシャ)|メガロポリス]]を建設した。
* [[アゲシポリス2世]]が、父[[クレオンブロトス1世]]の後を継いでスパルタ王となった。
 
== 天文学 ==
* この年には、[[クロイツ群]]の[[彗星]]が[[近点・遠点|近点]]を通過したとされている。このとき、[[アリストテレス]]や[[エポロス]]は、彗星の観測を行ったと考えられている。
 
== 誕生 ==
== 死去 ==
* [[クレオンブロトス1世]] - [[スパルタ]]王、[[レウクトラの戦い]]で戦死
 
== 出典・脚注 ==
{{Reflist}}
 
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[[Category:紀元前371年|*]]
 
[[ast:371 edC]]
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[[bs:371 p.n.e.]]
[[ca:371 aC]]
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[[ko:기원전 371년]]
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[[zh:前371年]]