「ムルシリ2世」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
14行目:
=== 遠征・外交 ===
ムルシリの治世は彼自身が残した年代記が発見されたためかなり詳しく復元されている。彼が帝王教育を受けず経験不足と侮られたことと、疫病による政治混乱により、即位直後のヒッタイト各地での反乱に繋がった。北方の[[カシュカ]]族、東方のアッジ(ハヤサ)、西方の
またシュッピルリウマ1世の時代に[[アムル人|アムル王国]]に確保していた影響力を維持するべく、アムル王[[トゥピ・テシュプ]]にヒッタイトの宗主権を確認させ、[[古代エジプト|エジプト]]の影響力を排除することに努めた。エジプトでは当時[[アメンホテプ4世]]の死後[[ファラオ|王位]]を継いだ[[スメンクカーラー]]と[[ツタンカーメン]](トゥトアンクアメン)の時代で政治的混乱が続いており、ムルシリ2世は[[歴史的シリア|シリア]]への影響力維持に成功する。[[ユーフラテス川|ユーフラテス河]]中流の要衝[[エマル]]市をカルケミシュ副王の支配下に置いてシリア支配の拠点とした。在位12年目にはエジプト王[[ホルエムヘブ]]と条約を結んでアムル支配を認めさせている。
|