「老河口作戦」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
24行目:
そこで、日本の[[大本営]]は、再び同様の飛行場制圧作戦を実施することにし、[[1945年]](昭和20年)1月22日、[[支那派遣軍]]に対して老河口作戦と[[シ江作戦|芷江作戦]]の実施を命じた。これを受けて支那派遣軍は、1月29日に隷下の[[北支那方面軍]]と[[第6方面軍 (日本軍)|第6方面軍]]に実行命令を発した。なお、現地の軍司令部には事前に作戦の内示がされて、すでに具体的検討が行われていた。
 
老河口作戦を担当する[[第12軍 (日本軍)|第12軍]]は、[[3月23日]]の作戦開始を決定した。日本側の作戦計画は、河南省側から主攻勢を行うものである。[[{{仮リンク|騎兵第4旅団|en|IJA (日本軍)4th Cavalry Brigade|騎兵第4旅団]]}}が機動力を生かして老河口飛行場を制圧するとともに、[[第110師団 (日本軍)|第110師団]]を右翼([[魯山県]]方面)、[[第115師団 (日本軍)|第115師団]]を左翼([[舞陽県]]方面)として進撃させ、西峡口から老河口に至る線を確保する計画だった。騎兵第4旅団は、当時の日本軍に唯一残った大規模な乗馬騎兵部隊である。機動打撃力を増すため、[[戦車第3師団 (日本軍)|戦車第3師団]]も参加している。ほかに、[[第34軍 (日本軍)|第34軍]]が湖北省方面から1個師団で、[[第1軍 (日本軍)|第1軍]]が一部をもって[[洛河]]流域から[[洛寧県]]の[[歩兵第110連隊]](第110師団所属)と協力し、それぞれ牽制作戦を実施した。
 
==参加兵力==
32行目:
**[[第115師団 (日本軍)|第115師団]]
**[[戦車第3師団 (日本軍)|戦車第3師団]] - 隷下の3個[[戦車連隊]]は全て別方面に派遣中で欠如。[[機械化歩兵|機動歩兵]]第3連隊(1個[[大隊]]欠)と[[捜索連隊|師団捜索隊]]を主力に、機動砲兵第3連隊(1個大隊欠)、戦車連隊の残留要員による2個戦車隊([[中戦車]]20両ずつ)など、[[装甲戦闘車両]]約100両を装備。
**[[{{仮リンク|騎兵第4旅団|en|IJA (日本軍)4th Cavalry Brigade|騎兵第4旅団]]}}
**吉武[[支隊]] - [[第117師団 (日本軍)|第117師団]]の歩兵第87旅団(吉武秀人[[少将]])基幹。3個歩兵大隊ほか。
*[[第34軍 (日本軍)|第34軍]]の一部