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[[ヴィリー・ブラント]]の側近として、東西ドイツの分断克服のアイデアとして「接近による変革」を提唱し、[[東西ドイツ基本条約]]交渉をはじめとするソ連、東ドイツ、ポーランドとの関係正常化を目指した[[東方外交]]において主導的な役割を担ったことで知られる。
 
新聞社やラジオ局の勤務を経て、ブラントに抜擢され、[[西ベルリン]]市の広報担当に就く。ブラントの外相就任に伴って、[[外務省 (ドイツ)|外務省]]政策企画室長に転じ、東方外交につながる安全保障構想を立案する。1969年のブラント政権成立後は、首相府の東方問題担当になり、[[ソビエト・西ドイツ武力不行使条約|モスクワ条約]]、東西ドイツ基本条約の交渉に携わった。シュミット政権での経済協力相を経て、1980年から1982年まで国連軍縮委員会(パルメ委員会)に参加し、共通の安全保障概念を提唱した。
{{commonscat|Egon Bahr}}