「松川事件」の版間の差分

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| 原因 = [[脱線]]を発生させるように、[[軌道 (鉄道)|軌道]]に[[破壊活動]]が行われていたこと
| 手段 = 線路継目部の[[ボルト (部品)|ボルト]]・[[ナット]]を緩め、継ぎ目板を外す。更にレールを[[枕木]]上に固定する[[犬釘]]を多数抜き、長さ25m、重さ925kgのレール1本を外し、13m移動させた。
| 武器 = バール1本、スパナ1本等不明
| 攻撃人数 = 不明
| 標的 = [[日本国有鉄道|国鉄]]の列車
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また[[宇野浩二]]、[[吉川英治]]、[[川端康成]]、[[志賀直哉]]、[[武者小路実篤]]、[[松本清張]]、[[佐多稲子]]、[[壷井栄]]ら[[作家]]・[[知識人]]の支援運動が起こり、世論の関心も高まった。
 
[[1959年]](昭和34年)[[8月10日]]、[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]は二審判決を破棄し、仙台高裁に差し戻した。検察側の隠していた「諏訪メモ」(労使交渉の出席者の発言に関するメモ。被告人達の[[アリバイ]]を証明していた。使用者側の記録者の名から)の存在と、検察が犯行に使われたと主張した「自在スパナ」(犯行に使われた凶器で松川駅の線路班倉庫に1丁あった)ではボルトを緩められないことが明るみに出て、検察の起訴事実は根底から覆される事態が発生した。
 
[[1961年]](昭和36年)[[8月8日]]、仙台高裁での差し戻し審で被告人全員に無罪判決。