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Tribot (会話 | 投稿記録)
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== 中世ヨーロッパ ==
{{出典の明記|section=1|date=2011年5月}}
キリスト教の影響で公然と化粧をすることが出来なくなってもなお、特権階級の人々は肌を白く見せる為の努力をした。[[ビール]]で顔を洗ったり、眉を剃って細くし額の髪の生え際を剃って髪を結い上げることで顔の白さを強調したり、極端な場合は[[瀉血]]をして人為的に[[貧血]]になることで肌を白く見せようとした。時代は下り、[[宗教革命]]の影響で教会の権力が弱くなった[[中世|中世ヨーロッパ]]では、顔に[[蜜蝋]]を塗り、その上に白粉を叩くという化粧方法が流行した。この化粧のはじまりは[[イギリス]]の女王[[エリザベス1世 (イングランド女王)|エリザベス1世]]とされ、戴冠式などの教会の儀式で聖性を高める目的で行われ、また、貴族達もそれに倣うようになった。この化粧の問題点は蝋が溶け、化粧が崩れるのを避けるために、冬や寒い日でも暖房に近づくことができなかったことである。当時の白粉は鉛白などが含まれていたために皮膚にシミができやすかったとされる([[鉛中毒]])。これをごまかすために「つけぼくろ」が一時期貴族の間で流行した。16世紀には[[水銀]]を使った白粉が登場し、肌の皮膚がボロボロとはがれて吹き出物が取れる事から持てはやされたが、[[水銀中毒]]により歯茎が黒ずんで歯が抜ける副作用があり、口元を隠す為に[[扇子]]が流行した。再び化粧が流行した背景にはヨーロッパと[[イスラーム]]社会の争いがある。当時のイスラームは科学技術が発達していた上に裕福で、[[十字軍]]は遠征先から[[香水]]や[[香油]]をヨーロッパに持ち帰ってきた。また、イスラームから[[天然痘]]を持ち込んでしまい、その後遺症である『あばた顔』を隠す為に白粉を厚く塗ることがはやり始めた。
 
== 近代ヨーロッパ ==