「大久保利通」の版間の差分

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Kitty1976 (会話 | 投稿記録)
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=== 嗜好 ===
* 家庭内では子煩悩で優しい父親だったという。出勤前のわずか10分か15分の間を唯一の娘である芳子を抱き上げて慈しんだ。また大久保が[[馬車]]で自宅に帰ってくると、三男の[[大久保利武]]ら子ども達が争って、玄関に出迎え靴を脱がせようとして、勢いあまって後ろに転がるのを見て笑って喜んでいた。平生は公務が忙しく、家族と夕食を摂ることもままならなかったが、土曜日は自らの妹たちも呼んで家族と夕食を摂るようにしていた。大久保はこの土曜日の家族との夕食を無上の楽しみにしていたという。
* [[趣味]]は[[囲碁]]。碁好きの島津久光に接近するために碁を学んだといわれるきっかけで生涯の趣味となった<ref>[[毛利敏彦]]「大久保利通」[[中公新書]]、P251969年</ref>。なおそれ以前の[[嘉永]]元年([[1848年]])の日記に碁を三番打って負けたとの記述がある。
* [[ヘビースモーカー]]で、濃厚な指宿煙草(日本で初めて栽培されたたばこ)を愛用し、子供達が朝晩[[パイプ (タバコ)|パイプ]]を掃除しなければすぐに目詰まりするほどだった。また、朝用と夜用のパイプをそれぞれ分けて使っていた。
* [[茶]]は[[京都]][[宇治市|宇治]]の[[玉露]]を濃く淹れたものを好んだ。