「朝比奈泰朝」の版間の差分

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| 墓所 =
| 官位 = 左京亮、備中守
| 主君 = [[今川義元]]、[[今川氏真|氏真]]、{{独自研究範囲|[[酒井忠次]]?(有力説)|date=2012年12月}}
| 氏族 = [[朝比奈氏]]
| 父母 = 父:[[朝比奈泰能]]
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掛川城を守る泰朝は5ヶ月に亘って奮戦したが、援軍の見込めぬ中での戦いには限りがあった。永禄12年([[1569年]])5月17日、氏真は開城要求を受け入れ、[[伊豆国]]に退去することとなったが、この時も泰朝は氏真に供奉し、伊豆へ同行している。氏真は北条氏の庇護の下に入ったが、泰朝は[[上杉謙信]]の家臣・山吉氏に援助を要請するなどの活動を行っている。[[元亀]]2年([[1571年]])12月、氏真は家康を頼って[[浜松城]]に出向くものの、泰朝はこれには従わなかった。
 
泰朝のその後の消息は不明であるが、徳川氏の重臣・{{独自研究範囲|徳川氏の重臣・[[酒井忠次]]の家臣として仕えた説が有力である。|date=2012年12月}}
 
== 小説 ==
*[[岩井三四二]]『難儀でござる』(光文社(光文社時代小説文庫)、2009年)