「ラインラント」の版間の差分

編集の要約なし
{{出典の明記|date=2013年1月}}
[[ファイル:Rhineland.jpg|thumb|280px|right|ラインラントの位置]]
[[ファイル:Rheinland 1905.png|thumb|180px|right|1905年のラインラント]]
古代[[ローマ帝国]]の時代から都市が建設され、ドイツでは最も古くから文明が栄えた地域でもある。[[ケルン]]、[[マインツ]]などの歴史ある都市が点在し、[[中世]]には[[神聖ローマ帝国]]を支える主要地域の一つであった。
 
その地域的重要性から、[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]以来フランスの侵攻をたびたび受けた。[[ナポレオン戦争]]の際には、ライン川西岸一帯がフランスの占領下に降ることとなった。1815年の[[ウィーン議定書]]によって[[プロイセン王国]]に割譲され、1822年よりラインラント県がおかれた。周辺地域の豊富な地下資源と[[ライン川]]による物流という地理的優位性から、ドイツにおける工業化の中心地となり、1871年の[[ドイツ帝国]]成立後も工業地帯として発展した。[[第一次世界大戦]]後の[[パリ講和会議]]によって成立した[[ヴェルサイユ条約]]で、ラインラントの非武装化が定められた。その後、1925年の[[ロカルノ条約]]によって、再びこの地が[[非武装地帯]]であることが確認されたが、1933年に成立したヒトラー政権のもとでヴェルサイユ条約、ロカルノ条約が破棄され、[[1936年]][[3月7日]]にドイツ軍が[[ラインラント進駐|ラインラントに進駐]]した。第二次世界大戦後、ドイツにおける行政区の見直しが行われ、[[ラインラント=プファルツ州]]、[[ノルトライン=ヴェストファーレン州]]などを構成する一地域となった。
 
その後、1925年の[[ロカルノ条約]]によって、再びこの地が[[非武装地帯]]であることが確認されたが、1933年に成立したヒトラー政権のもとでヴェルサイユ条約、ロカルノ条約が破棄され、[[1936年]][[3月7日]]にドイツ軍が[[ラインラント進駐|ラインラントに進駐]]した。第二次世界大戦後、ドイツにおける行政区の見直しが行われ、[[ラインラント=プファルツ州]]、[[ノルトライン=ヴェストファーレン州]]などを構成する一地域となった。
 
== 主な都市 ==
匿名利用者