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=== アリゾナ・ダイヤモンドバックス ===
移籍後は途中5連敗もあったが、シーズン通算で11勝、リーグ最多の8完投を記録した。{{by|2001年}}は開幕5連勝を記録するなど6月までに12勝を挙げる。[[5月26日]]の[[サンディエゴ・パドレス]]戦では8回途中までパーフェクトに抑えたが、[[ベン・デイヴィス]]がバント安打で出塁し快挙を逃した<ref>この行為が「Unwritten Rules([[野球の不文律]])」を破ったとして騒動になった。</ref>。22勝6敗・防御率2.98・293奪三振、いずれもリーグ最多の256.2イニング・6完投・37被本塁打を記録し、[[最多勝利 (MLB)|最多勝]]のタイトルを獲得。チームメイトの[[ランディ・ジョンソン]]と合わせて43勝・665奪三振を記録し、チームの地区優勝の原動力となる。ポストシーズンでも活躍は続き、[[セントルイス・カーディナルス]]との[[2001年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|ディヴィジョンシリーズ]]では第1戦に先発して3安打完封勝利、最終第5戦でも1失点完投勝利を挙げる。[[アトランタ・ブレーブス]]との[[2001年のナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]では第3戦で12奪三振で1失点完投勝利を挙げ、チームは球団創設4年目でリーグ優勝を果たす。[[ニューヨーク・ヤンキース]]との[[2001年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]では第1戦に先発し、7回1失点で勝利投手。第4戦でも7回1失点と好投するが、クローザーの[[金炳賢]]がセーブに失敗し勝利は付かなかった。最終第7戦では6回まで無失点に抑えるが、その後リードを許し8回途中で降板。チームは9回裏に[[ルイス・ゴンザレス]]のサヨナラ安打で勝利し、史上最速の創設4年目でのワールドチャンピオンとなった。ジョンソンと共に[[ワールドシリーズ最優秀選手|シリーズMVP]]を受賞し、[[スポーツ・イラストレイテッド]]誌の2001年度 "スポーツマン・オブ・ザ・イヤー" にも選ばれた。サイ・ヤング賞の投票ではジョンソンに次ぐ2位。{{by|2002年}}[[4月7日]]の[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]戦では自己最多で毎回の17三振を奪い1安打完封勝利。[[4月23日]]から9連勝を記録するなど前半戦で14勝を挙げ、[[2002年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]で先発投手を務めた。終盤に打ち込まれたが、いずれもジョンソンに次ぐリーグ2位の23勝(7敗)・316奪三振・259.1イニングを記録し、チームは2年連続地区優勝。カーディナルスとの[[2002年のナショナルリーグディビジョンシリーズ|ディヴィジョンシリーズ]]では第2戦に先発して7回1失点と好投するが勝敗は付かず、チームは3連敗で敗退した。サイ・ヤング賞の投票では前年に続いてジョンソンに次ぐ2位に入る。{{by|2003年}}は4月に[[虫垂炎]]を患い[[4月19日]]に手術、[[5月30日]]のパドレス戦で打球を右手に受けて骨折。7月に復帰後も左膝の痛みを抱えながらプレイするなど故障に泣いた。6月末には審判技術向上のため導入されていた[[クエステック・システム]]の監視カメラを[[バット (野球)|バット]]で破壊。これは非難されるべき行為には違いないが、「あんなカメラに左右されるなんて、冗談じゃない。これまでストライクとコールされた球が、ボールになる。しかもスタジアムにカメラが有る無しでコールも変わる。最悪のシステムだ」という主張は、同システムに不満を感じていた一部のメジャーリーグ関係者から強い支持を集めた<ref>[[木本大志]] 「[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/column/200306/0617kimo_01.html 『ICHIRO REPORT 3年目の真実』 VOL.7 Ques Tec System メジャーが導入を急ぐ判定監視システムとは?]」 『[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/ スポーツナビ]』、2003年。</ref>。防御率2.95・194奪三振を記録したが、ものの8勝9敗に終わった。オフに球団との契約延長交渉が財政難のため決裂し、球団は移籍を容認<ref name="maj200402a">[[ナガオ勝司]] 「カート・シリング/37歳エースの男気。」『[[月刊メジャー・リーグ]]』2004年2月号、[[ベースボールマガジン]]社、2004年、[[雑誌コード|雑誌]] 08625-2、8 - 13項。</ref>。当初はフィリーズかヤンキースへ移籍と言われたが、フィリーズ時代に絶大な信頼関係を築いた[[テリー・フランコーナ]]がレッドソックス新監督の有力候補となってからは事態が一転し<ref>[[嶋田剛司]] 「テリー・フランコーナ/新監督の十字架。」『[[月刊メジャー・リーグ]]』2004年2月号、[[ベースボールマガジン]]社、2004年、[[雑誌コード|雑誌]] 08625-2、20 - 23項。</ref><ref name="maj200402a"/>、[[11月28日]]に[[ブランドン・ライオン]]、[[ケイシー・フォッサム]]、[[ホルヘ・デラロサ]]他1選手との交換トレードで移籍。ダイヤモンドバックスとの契約が2004年まで残っていたが、{{by|2005年}}から2年2500万ドル(3年目は1300万ドルのオプション)で契約を延長した<ref name="maj200402a"/>。
 
=== ボストン・レッドソックス ===
移籍1年目の{{by|2004年}}は前半戦で11勝を挙げ、2年ぶりに[[2004年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]に選出される。[[9月16日]]の[[タンパベイ・レイズ|タンパベイ・デヴィルレイズ]]戦で勝利投手となり、{{by|1978年}}の[[デニス・エカーズリー]]以来、球団史上5人目の入団初年度での20勝を達成。21勝6敗・防御率3.26・203奪三振を記録し、チームの[[ワイルドカード (スポーツ)|ワイルドカード]]獲得に貢献。[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|アナハイム・エンゼルス]]との[[2004年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ディヴィジョンシリーズ]]では第1戦に先発し勝利投手となるが、右足首の腱を断裂する怪我を負う。ヤンキースとの[[2004年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]では第1戦に先発するが、痛みから本来の投球ができず、3回6失点で敗戦投手となる。球団の医療スタッフは、痛めた足首の周囲の皮膚を縫い付けて断裂した腱が動かないようにする[[応急処置]]を敢行する。当時の報道によればこのような処置はそれまで誰もやったことがなく、有効性を確かめるために医療解剖用の死体を使ってリハーサルを行ったという。第6戦では7回1失点と好投して勝利投手となり、史上初めて3連敗からタイに持ち込んだが、試合終盤には縫合部分から出血し、靴下が血に染まった。以後は先発の前日に足の皮膚を縫い合わせ、登板が終わったら抜糸、を繰り返した(縫い付けたままでは患部が化膿する恐れがあるため)<ref>{{Cite web|date=2004-10-20|url=http://www.redorbit.com/news/oddities/95850/cadaver_used_to_help_fix_schillings_ankle/|title=Cadaver used to help fix Schillings ankle|language=英語|accessdate=2008-05-13}}</ref>。チームは最終第7戦も勝利して18年ぶりのリーグ優勝を果たす。カーディナルスとの[[2004年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]では第2戦に先発し、靴下を血に染めながら7回を4安打1失点と好投して勝利投手。チームは4連勝で{{by|1918年}}以来86年ぶりのワールドチャンピオンとなり、[[ボストン・レッドソックス#バンビーノの呪い|バンビーノの呪い]]を打ち破った。シリングの'''血染めのソックス'''は[[アメリカ野球殿堂|野球殿堂]]に展示されることになった。サイ・ヤング賞の投票では満票で受賞した[[ヨハン・サンタナ]]に次ぐ2位に入り、チーム全体でスポーツ・イラストレイテッド誌の2004年度スポーツマン・オブ・ザ・イヤーを受賞した。
 
{{by|2005年}}は前年の故障の影響で開幕に間に合わず、復帰後も不本意な投球で再び[[故障者リスト]]入り。7月に復帰した後はクローザーとして9セーブを記録し、8月下旬からは先発に戻る。チームは惜しくも地区優勝を逃すがワイルドカードを獲得。[[シカゴ・ホワイトソックス]]との[[2004年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ディヴィジョンシリーズ]]では3連敗で敗退。第4戦で先発予定だったため登板機会は無かった。{{by|2006年}}は健康的な状態でシーズンを迎え、傷めた足首もほとんど影を潜めたようであった。開幕から4試合で4勝0敗・防御率1.61という数字残すと記録し、引退が迫ってきた近いのではという声も退けた。この年は15勝7敗・奪三振198・防御率3.97の成績で終えた。[[5月27日]]の[[タンパベイ・レイズ|ヴィルレイズ]]戦で史上104人目の通算200勝を達成。メジャー19年目にして歴代104人目、現役(達成当時)では6人目となる偉業を成し遂げた。[[7月9日]]、[[USセルラー・フィールド]]でのホワイトソックス戦で400回目の先発出場を達成。[[8月30日]]の[[オークランド・アスレティックス]]戦では[[ニック・スウィッシャー]]から三振を奪い、通算[[3000奪三振クラブ|3000個目奪三振]]の三振を奪い、に到達。与四球1000を数える前に3000奪三振を達した史上3人目以下で投手となった(他の2人達成は[[ファーガソン・ジェンキンス]][[グレッグ・マダックス]]に次ぐ史上3人目となった。直後に故障で離脱するが15勝7敗・防御率3.97・183奪三振を記録した。{{by|2007年}}1月にデニス・アンド・カラハンというラジオ番組の中で、家族との話に出演合いの後に考えを変えた結果、2007年シーズンの閉幕をもって自身の引退する意思ないことを表明した。しかしシリングは現契約延長を申し出るも、レッドソックス経営陣球団は年齢体調などを理由にシーズンの終わりまで交渉を拒否した。それに対しシリングは今シーズンの終わりには自身初のフリーエージェントとなるつもりであり、レッドソックス球団が独占交渉権を持つワールドシリーズ終了後の15日間に同チームとの交渉をする行うつもりはないと発言を行った。{{by|2007年}}[[6月7日]]のアスレティックス戦では9回2死まで無安打失策の走者1人に抑えるも、[[シャノン・スチュワート]]に95マイルの速球をライトへ打たれ、後一歩でノーヒットノーランをあと一人という所で逃した。その試合の後2度の先発で結果を残せず打ち込まれ、[[7月20日]]にボストンへ帰りMRI検査を受け故障者リストり。9勝に留まるが、チームは12年ぶりの地区優勝を果エンゼルスとの[[8月6日2007年のアメリカンリーグディビジョンシリーズ|ディヴィジョンシリーズ]]では第3戦復帰先発た後、7回無失点で勝利投手。[[クリーヴランド・インディアンズ]]との[[2007年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]で9試合第2戦登板先発5回途中5失点で降板するがいずれも6イニン戦は7回2失点と好投して勝利投手となり、チームは3年ぶりのリー以上を優勝。[[コロラド・ロッキーズ]]との[[2007年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]では第3戦に先発し、6回途中1失点で勝利手となり、3年ぶりのワールドチャンピオンに貢献した。
 
オフにフリーエジェ終了後初のFAとなったシリングに対し、2年3,000万ドルを提示した球団もあったが<ref>{{Cite book|和書|author=友成那智、村上雅則|year=2008|title=メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008|publisher=廣済堂出版|pages=39項|id=ISBN 978-4-331-51300-2}}</ref>、1年800万ドルでレッドソックス残留。{{by|2008年}}[[3月13日]]、状態の思わしくなかった右肩のリハビリのため、60日間の故障者リスト入りした。シリング本人は手術をんだしたが、チーム球団はまずリハビリすることを望んだ。復帰はオールスター明けとみられていた<ref>{{Cite web|date=2008-03-13|url=http://www.sportsline.com/mlb/story/10706812|title=Red Sox's Schilling, out until All-Star break, goes on 60-day DL|language=英語|accessdate=2008-03-13}}</ref>。しかし、結局6月に手術を行い、シーズン終盤に復帰するのではと言われたが、1試合も登板することなくシーズンを終えた<ref name="sul200901"/>。チームはワイルドカードでポストシーズンに進出。[[タンパベイ・レイズ]]との[[2008年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ|リーグチャンピオンシップシリーズ]]第5戦で[[始球式]]を務めたが、投球はホームベースのかなり手前でワンバウンド。レッドソックスファンのブログでは、「The 8 Million Dollar First Pitch(800万ドルの始球式)」と揶揄され<ref name="sul200901">「2008プレーオフ総集編 ALCS ア・リーグ・チャンピオンシップシリーズ レイズ対レッドソックス」『[[スラッガー (雑誌)|月刊スラッガー]]』2009年1月号、[[日本スポーツ企画出版社]]、2009年、雑誌15509-1、56頁</ref>、チームは3勝4敗で敗退した。{{by|2009年}}[[3月23日]]に自身のブログで「パーティーは終わりだ。23年間のプロ生活で世界一のファンからいろんな場所で祝福を受けてきて、引退には何の後悔もない」と現役引退を表明した<ref>{{Cite web |url=http://bugsandcranks.com/38pitches/sports/boston/baseball/curt-schilling/general/calling-it-quits/ |title=Calling it quits |author= |publisher=38pitches |accessdate=2009年3月24日 }}</ref><ref>{{Cite web |url=http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20090323&content_id=4052274&vkey=news_mlb&fext=.jsp&c_id=mlb |title=Schilling announces his retirement Right-hander won Series games for Phillies, D-backs, Red Sox |author= |publisher=MLB.com |accessdate=2009年3月24日 }}</ref>。
 
チームは[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|ロサンゼルス・エンゼルス]]を下してア・リーグチャンピオンシップシリーズへ進出し、[[タンパベイ・レイズ]]と対戦することになった。第一戦は勝利したものの、第2 - 4戦にかけて3連敗を喫し、後のなかった第5戦に、右肩を手術して以来、戦列を離れていたシリングが始球式に登場すると、チームは見事勝利を収めた。しかし、始球式でのシリングの投球は、ホームベースのかなり手前でワンバウンドした。そのため、レッドソックスファンのブログでは、「The 8 Million Dollar First Pitch(800万ドルの始球式)」と揶揄され<ref name="sul200901">「2008プレーオフ総集編 ALCS ア・リーグ・チャンピオンシップシリーズ レイズ対レッドソックス」『[[スラッガー (雑誌)|月刊スラッガー]]』2009年1月号、[[日本スポーツ企画出版社]]、2009年、雑誌15509-1、56頁</ref>、チームは第7戦で敗れた。{{by|2009年}}[[3月23日]]に自身のブログで「パーティーは終わりだ。23年間のプロ生活で世界一のファンからいろんな場所で祝福を受けてきて、引退表明には何の後悔もない」と引退を発表した<ref>{{Cite web |url=http://bugsandcranks.com/38pitches/sports/boston/baseball/curt-schilling/general/calling-it-quits/ |title=Calling it quits |author= |publisher=38pitches |accessdate=2009年3月24日 }}</ref><ref>{{Cite web |url=http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20090323&content_id=4052274&vkey=news_mlb&fext=.jsp&c_id=mlb |title=Schilling announces his retirement Right-hander won Series games for Phillies, D-backs, Red Sox |author= |publisher=MLB.com |accessdate=2009年3月24日 }}</ref>。
 
== 選手としての特徴 ==
90mph台後半の[[フォーシーム・ファストボール|フォーシーム]]と[[スプリットフィンガード・ファストボール|スプリッター]]が最大の武器で、他にも鋭く落ちる[[カーブ (種)#ドロップカーブ|縦のカーブ]]や[[スライダー (球種)|スライダー]]、[[チェンジアップ]]を投げた。球のスピードには幅があり、98mph(約158km/h)を計時することもあれば、特に左打者に対して88mph(約142km/h)程度の遅い球を投げる時もあった<ref name="sr200212">スカウティング・レポート『月刊スラッガー』2002年12月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-12、34-37頁。</ref>。決め球のスプリッターは80mph台後半の球速を誇った<ref name="sr200212"></ref>。30代中盤以降は抜群の制球力を身につけ、2001年からの通算与四球率は1.40と驚異的な数値を記録しており、どの球種でもコンスタントにストライクを取ることができた<ref name="sr200212"></ref>。
90mph台後半の[[速球]]と[[スプリットフィンガード・ファストボール|スプリッター]]を武器に3度の300[[三振|奪三振]]を達成した。
 
球速には幅があり、98mph(約158km/h)を計時することもあれば、特に左打者に対して88mph(約142km/h)程度の遅い球を投げる時もあった<ref name="sr200212">スカウティング・レポート『月刊スラッガー』2002年12月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-12、34-37頁。</ref>。決め球のスプリッターは80mph台後半の球速を誇った<ref name="sr200212"></ref>。
 
他にも鋭く落ちる[[カーブ (球種)#ドロップカーブ|縦のカーブ]]や[[スライダー (球種)|スライダー]]、[[チェンジアップ]]を投げ、特にダイヤモンドバックス移籍後は抜群の制球力を身につけ、2001年からの通算与四球率は1.40と驚異的な数値を記録しており、どの球種でもコンスタントにストライクを取ることができた<ref name="sr200212"></ref>。
 
若い頃は「君は頭が悪いんだってね」という問いに対し、「その通りだ」と答えるなど『パーティ・アニマル』と呼ばれるほど思慮が足りない選手であった<ref name="sr200203">スペシャル・ストーリー/カート・シリング『月刊スラッガー』2002年3月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-3、34-39頁。</ref>。しかし30歳を越えたあたりから、膨大なメモとノートパソコンに蓄積したデータを用いた打者の分析や、自軍の野手の守備位置の研究などの徹底した準備を行うようになり、試合前にはコーチや選手を集めて打者一人ひとりに対する守備位置の確認を行い、「この打者に対しては2ストライクで守備位置を変えてほしい」などという要求まで出し、試合中でもマウンドから守備位置変更の指示を出すこともあった<ref name="sr200203"></ref>。ダイヤモンドバックスでチームメイトだった[[ルイス・ゴンザレス (外野手)|ルイス・ゴンザレス]]はこうしたシリングの姿勢について「こっちには何のことだか…なんてことが多いが、彼は自分が何をやっているかをしっかりとわかっている。だから彼の言う通りにしたのにやられた、なんて時は彼が側にやって来て『気にするな。間違ったのは俺だ』って言うんだよ」と語っている<ref name="sr200203"></ref>。
 
==人物==
気迫溢れるプレーを信条とし、[[日本]]のマスコミからは敬愛をこめて「マウンドの鬼」と称されたこともある。しかし、それとは対照的に心優しい一面もある。特筆すべき事項としては、ここ10年以上[[筋萎縮性側索硬化症]](ALS)の研究に積極的に支援しており、奪三振数に応じて毎年寄付を行っている。人気クイズ番組''Jeopardy!''(2006年11月9日放送)に出演した際は獲得した25,000ドルをチャリティへ寄付し、2004年のプレイオフでは、足首の手術を受けたあと(カメラが足によく向かうのを知りつつ)シューズに "K ALS" (Kは三振の意)と書いてプレーした。
 
2006年オフにレッドソックスに移籍が決まった[[岡島秀樹]]と[[松坂大輔]]のために日本語を少し学び始めた<ref>http://www.boston.com/sports/baseball/redsox/articles/2006/12/10/francona_awaiting_more_gifts/</ref>。海外での[[ウィンターリーグ]]の経験から、周りで全くわからない言葉を喋られる事がいかに気持ちの良くないものであるかを知っているため、少しでもそれを軽くするようにチームメートが努力をしてやるのが最高の解決方法だと語っている。
 
若い頃は「君は頭が悪いんだってね」という問いに対し、「その通りだ」と答えるなど『パーティ・アニマル』と呼ばれるほど思慮が足りない選手であった<ref name="sr200203">スペシャル・ストーリー/カート・シリング『月刊スラッガー』2002年3月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-3、34-39頁。</ref>。しかし30歳を越えたあたりから膨大なメモとノートパソコンに蓄積したデータを用いた打者の分析や、自軍の野手の守備位置の研究などの徹底した準備を行うようになり、試合前にはコーチや選手を集めて打者一人ひとり一人に対する守備位置の確認を行い、「この打者に対しては2ストライクで守備位置を変えてほしい」などという要求まで出し、試合中でもマウンドから守備位置変更の指示を出すこともあった<ref name="sr200203"></ref>。ダイヤモンドバックス時代にチームメイトだった[[ルイス・ゴンザレス (外野手)|ルイス・ゴンザレス]]はこうしたシリングの姿勢について「こっちには何のことだか…なんてことが多いが、彼は自分が何をやっているかをしっかりとかっている。だから彼の言う通りにしたのにやられた、なんて時は彼が側にやって来て『気にするな。間違ったのは俺だ』って言うんだよ」と語っている<ref name="sr200203"></ref>。
===ゲーム===
ボードゲーム/コンピューターゲームのファンとして知られ、「オタク (nerd)」を自認している<ref>[http://www.gametrailers.com/gametrailerstv_player.php?ep=8&ch=1&sd=0 ]</ref>。特に戦術級ウォーゲーム[[アドバンスト・スコードリーダー]](Advanced Squard Leader / ASL)の根強いファンである。
 
== 人物 ==
例年開催されるASLオクトーバーフェストに参加が出来なかった時には、その無念さから、自らの資金でASLオープンを創設した。その第1回は1993年1月15日に[[テキサス州]][[ヒューストン]]で催された。また同ゲームのための「Fire for Effect」というアマチュア隔月雑誌も刊行していた。
気迫溢れるプレーを信条とし、[[日本]]のマスコミからは敬愛をこめて「マウンドの鬼」と称されたこともある。しかし、それとは対照的一方で慈善事業心優しい一面ある。特筆すべき事項としては積極的でここ10年以上[[筋萎縮性側索硬化症]](ALS)の研究に積極的に支援しており、奪三振数に応じて毎年寄付を行っている。人気クイズ番組''Jeopardy!''(2006年11月9日放送)に出演した際は獲得した25,000ドルをチャリティへ寄付し、2004年のプレイオフでは、足首の手術を受けたあと(カメラが足によく向かうのを知りつつ)シューズに "K ALS" (Kは三振の意)と書いてプた。2006年オフにッドソックス移籍が決まった[[岡島秀樹]]と[[松坂大輔]]のために[[日本語]]を少学び始め<ref>http://www.boston.com/sports/baseball/redsox/articles/2006/12/10/francona_awaiting_more_gifts/</ref>。海外での[[ウィンターリーグ]]の経験から、周りで全く分からない言葉を喋られる事がいかに気持ちの良くないものであるかを知っているため、少しでもそれを軽くするようにチームメートが努力をしてやるのが最高の解決方法だと語っている
 
=== ゲーム ===
発売元の[[アバロンヒル]](Avalon Hill)が倒産して[[ハズブロ]]社に買収された際には、ASL部門を買い取り、[[マルチマン・パブリッシング]]社を設立し、ゲームの再発や新シナリオの販売などを手がけている。また新雑誌、「ASL Journal」を創刊し、記事やゲームシナリオを提供している。
ボードゲーム/コンピューターゲームのファンとして知られ、「nerd(オタク)」を自認している<ref>[http://www.gametrailers.com/gametrailerstv_player.php?ep=8&ch=1&sd=0 ]</ref>。特に戦術級ウォーゲーム[[アドバンスト・スコードリーダー]](Advanced Squard Leader / ASL)の根強いファンである。例年開催されるASLオクトーバーフェストに参加出来なかった時には、その無念さから自らの資金でASLオープンを創設した。その第1回は1993年1月15日に[[テキサス州]][[ヒューストン]]で開催された。また同ゲームのための「Fire for Effect」というアマチュア隔月雑誌も刊行していた。発売元の[[アバロンヒル]](Avalon Hill)が倒産して[[ハズブロ]]社に買収された際にはASL部門を買い取り、[[マルチマン・パブリッシング]]社を設立し、ゲームの再発や新シナリオの販売などを手がけている。また新雑誌「ASL Journal」を創刊し、記事やゲームシナリオを提供している。
 
[[エバークエスト]]、[[エバークエスト2]]の大ファンとしても広く知られている。エバークエスト2の開発者がシリングに特別のキャラクターを作成し、2006年6月5日から7日までの3日間、ファンはそのバーチャルのカート・シリングと対戦する事ができた。このバーチャル・シリングが倒されるごとに[[ソニーオンラインエンタテインメント]]社から5ドルがASL研究に寄付されたが、これもシリングの思いつきからである。その他、[[PCゲーマー]]誌上で2つの拡張パックのレビューをしたこともある。
 
2006年ゲーム会社グリーンモンスターゲームズを創設した(のちに自身の背番号から38スタジオと改名)。しかしが、2012年6月に38スタジオは[[破産]]し、シリング自身も無一文になってしまったという<ref>[http://japan.cnet.com/news/offtopic/35018610/ 元メジャーリーグ投手、設立したゲーム会社38 Studiosの破産で一文無しに] [[CNET Japan]] [[2012年]][[6月29日]]</ref>。
 
== 獲得タイトル・表彰・記録 ==
*最多勝利 2回:2001年, 2004年
*最多奪三振 2回:1997年, 1998年
982

回編集