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{{Infobox officeholder
[[ファイル:Rbreich.jpg|thumb|200px|ロバート・B・ライシュ]]
| birth_name=ロバート・ライシュ
'''ロバート・バーナード・ライシュ'''({{lang-en|'''Robert Bernard Reich'''}}, [[1946年]][[6月24日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の元[[アメリカ合衆国労働長官|労働長官]]、[[経済学者]]、文筆家、[[カリフォルニア大学バークレー校]]公共政策大学院教授。これまで、[[ハーバード大学]][[ケネディスクール]]教授、[[ブランダイス大学]]社会政策大学院教授を歴任している。
| name= ロバート・ライシュ
| image= Reich.jpg|thumb|ロバート・ライシュ
| caption=
| order=22nd
| title=[[アメリカ合衆国労働長官]]
| term_start=1993年1月20日
| term_end=1997年1月20日
| predecessor=リン・マーティン
| successor=アレクシス・ハーマン
| president=[[ビル・クリントン]]
| birth_date={{Birth date and age|1946|06|24}}
| birth_place=[[ペンシルヴァニア州]], [[スクラントン]]
| death_date=
| death_place=
| party=[[民主党]]
| alma_mater=[[ダートマス・カレッジ]]<br>[[オックスフォード大学]]<br>[[イェール・ロースクール]]
| profession= 政治経済学者, [[教授]], [[著述家]], テレビ・ラジオ解説者
| spouse = クレア・ダルトン
| children= サムとアダム
| religion=
| footnotes=
}}
[[ファイル:Rbreich.jpg|thumb|200px|ロバート・B・ライシュ]]
 
'''ロバート・バーナード・ライシュ'''({{lang-en|'''Robert Bernard Reich'''}}, [[1946年]][[6月24日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の元[[アメリカ合衆国労働長官|労働長官]]、[[経済学者]]、文筆家、[[カリフォルニア大学バークレー校]]公共政策大学院教授。これまで、[[ハーバード大学]][[ケネディスクール]]教授、[[ブランダイス大学]]社会政策大学院教授を歴任している。<br/>
1946年、[[フランス]]にいた[[東欧系ユダヤ人]]の血を引く家庭に生まれた。姓の「ライシュ」('''Reich''')は[[フランス語]]表記で、[[ドイツ語]]では「ライヒ」と表記される。
 
==略歴==
[[ビル・クリントン|クリントン]]政権下の1993年から1997年に第32代労働長官を務めた。
*[[1946年]] [[ペンシルヴァニア州]][[スクラントン]]に生まれる([[フランス]]にいた[[東欧系ユダヤ人]]の血を引く家庭に生まれた)。
*[[ニューヨーク州]]クロスリバーのジョン・ジェイ・ハイスクールに通う。
*1968年 [[ダートマス・カレッジ]]を卒業する(A.B.、Summa cum laude)。
*Rhodes Scholarshipを得て[[オクスフォード大学]]で哲学、政治学、経済学を勉強する。
*[[イェール・ロースクール]]で法務博士(J.D.)を得る([[イェール大学]]では、[[ビル・クリントン]]、[[ヒラリー・クリントン]]、[[リチャード・ブルメンソール]]らがクラスメートであった)。
*1973年~1974年 the First Circuit控訴裁判所の首席裁判官Judge Frank M. Coffinの法律事務官として働く。
*1974年~1976年 U.S.法務次官ロバート・ボークの次官補として働く(この間、[[ジェラルド・フォード]]大統領のためにも働いたことになる)。
*1977年 [[ジミー・カーター]]大統領から連邦通商委員会政策計画スタッフの管理者に指名される 。
*1980年~1992年 [[ハーバード大学]]ジョン・F・ケネディ政治スクールで教える。
*1993年~1997年 [[ビル・クリントン]]大統領のもとで[[労働長官]]となる。
*[[ブランダイス大学]]とヘラー・スクール・フォー・ソーシャル・ポリシー・アンド・マネージメント大学院を教える。
*[[カリフォルニア大学バークレー校]]のゴールドマン・スクール・オブ・パブリック・ポリシーの教授(Chancellor's Professor of Public Policy)となる。 
 
 
1991年に発表した ''{{lang|en|The Work of Nations: Preparing Ourselves for 21st Century Capitalism}}'' (邦訳『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』)で、アメリカの富の大部分は人口における二割にすぎない「'''シンボリック・アナリスト'''」なる階層のものとなり、それ以外の階層である「対人サービス業者」「ルーティン肉体労働者」との断絶が激しくなるとの見通しを発表して、[[格差社会]]の到来を予言した。なお、シンボリック・アナリストとは、「象徴分析者」と和訳できるが、[[知識労働者]]と同じような意味である。問題を発見し、必要な人材、モノ、資金、情報などを集め、問題を解決する、という行動パターンで富を得る人たちである。
==主な業績==
*[[ビル・クリントン|クリントン]]政権下の1993年から1997年に第32代労働長官を務めた。
 
*1991年に発表した ''{{lang|en|The Work of Nations: Preparing Ourselves for 21st Century Capitalism}}'' (邦訳『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』)で、アメリカの富の大部分は人口における二割にすぎない「'''シンボリック・アナリスト'''」なる階層のものとなり、それ以外の階層である「対人サービス業者」「ルーティン肉体労働者」との断絶が激しくなるとの見通しを発表して、[[格差社会]]の到来を予言した。なお、シンボリック・アナリストとは、「象徴分析者」と和訳できるが、[[知識労働者]]と同じような意味である。問題を発見し、必要な人材、モノ、資金、情報などを集め、問題を解決する、という行動パターンで富を得る人たちである。
 
==著書==