「非理法権天」の版間の差分

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非理法権天は、[[中世]]日本の法観念としばしば対比される。中世日本において基本的に最重視されたのが「道理」であり、「法」は道理を体現したもの、すなわち道理=法と一体の者として認識されていた。権力者は当然、道理=法に拘束されるべき対象であり、道理=法は権力者が任意に制定しうるものではなかったのである。こうした中世期の法観念が逆転し、権力者が優越する近世法観念の発生したことを「非理法権天」概念は如実に表している。
 
[[南北朝時代 (日本)|南北朝期]]に[[楠木正成]]が「非理法権天」の菊水旗を掲げたとする説があるが、これは[[瀧川政次郎]]らの考証により[[江戸時代|江戸期]]におこった伝承であることが明らかとなっている。しかし、非理法権天の由来が楠木正成に仮託されたことで、非理法権天は尊皇思想に結びつけられ、その過程で「天」は天子、すなわち[[天皇]]であり、天皇が全てに超越するという思想が一部に生まれた。[[大東亜戦争]]期の日本では「非理法権天」が皇国主義・軍国主義と密接な関係を持つスローガンの一つとして掲げられ、教科書の中でも使われた。楠木正成の家紋から名をとった[[菊水作戦]]で沖縄に向かう戦艦[[大和]]には、非理法権天と印した幟があったといわれる。
 
== 参考書籍 ==
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