「冒頓単于」の版間の差分

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冒頓は続けて他の部族に対しても積極的な攻勢を行い、[[月氏]]を西方に逃亡させるなど勢力範囲を大きく広げ、広大な匈奴国家を打ち立てた。
 
[[紀元前200年]]、40万の軍勢を率いて[[代郡|代]]を攻め、その[[首都]]・[[朔州市|馬邑]]で代王・[[韓王信]]を寝返らせた。[[前漢]]皇帝・[[劉邦]](高祖)が歩兵32万を含む[[親征]]軍を率いて討伐に赴いたが、冒頓単于は弱兵を前方に置いて、負けたふりをして後退を繰り返したので、追撃を急いだ劉邦軍の戦線が伸び、劉邦は少数の兵とともに[[白登山]]で冒頓単于に包囲された。この時、劉邦は7日間食べ物が無く窮地に陥ったが、[[陳平]]の策略により冒頓単于の夫人に賄賂を贈り、脱出に成功した([[白登山の戦い]])

その後、冒頓単于は自らに有利な条件で前漢と講和した。これにより、[[匈奴]]は前漢から毎年贈られる財物により、経済上の安定を得、さらに韓王信や[[盧綰]]等の漢からの[[亡命]]者をその配下に加えることで勢力を拡大させ、北方の草原地帯に一大[[遊牧国家]]を築き上げることとなった。これには、成立したての漢王朝は対抗する力を持たず、冒頓単于から侮辱的な親書を送られ、一時は開戦も辞さぬ勢いであった[[呂雉]]も周囲の諌めにより、婉曲にそれを断る内容の手紙と財物を贈らざるを得なかったという。
 
その後、前漢王朝が安定し国が富むに至り、[[武帝 (漢)|武帝]]はこの屈辱的な状況を打破するため大規模な対[[匈奴]]戦争を開始する。しばらく一進一退が続いたものの、前漢の[[衛青]]と[[霍去病]]が匈奴に大勝し、結局、匈奴はより奥地へと追い払われ、その約60年続いた隆盛も終わりを告げた。