「ミャオ族」の版間の差分

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現在のミャオ族は山地で常畑や焼畑を営む人々と、盆地や平野で水稲耕作を営む人々に分かれ、分布は広域にわたり、他民族と高度を住み分けたり、雑居する場合もある。焼畑を営む人々は移動がさかんで山伝いに移住した結果、現在のラオス、ベトナム、タイにも同系統の言語や類似する文化を持つ人々が生活することになった。
 
== インドシナ半島におけるミャオ族の分布 ==
焼畑農耕に伴う移動に加えて、清軍の厳しい討伐や弾圧のため、[[19世紀]]には多くのモン族([[:en:Hmong people|Hmong]])が[[東南アジア]]のベトナム北部・ラオス・タイ・ミャンマー(ビルマ)に移住していった。[[20世紀]]に入り1936年7月1日に実施された仏印総督府下の国勢調査では、ベトナムで7万8400人、ラオスで4万7000人のモン族が数えられた<ref>「印度支那の労働問題」国際労働局 p289</ref>。その後の各国政府統計では、1970年ベトナム北部で28万5000人、1968年ラオスで15万8000人、1965年タイで5万3000人となっている。
 
=== ラオス ===