「ペトロの手紙一」の版間の差分

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(→‎著者と成立時期の論争: 高等批評=リベラルではない。福音派でも高等批評を受け入れる人も多い。)
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もしシルワノ本人が書いたのなら、もっと遅い時期の成立ということになる。[[156年]]に殉教した[[ポリュカルポス]]およびこの手紙に言及した[[パピアス]]から考えれば[[2世紀]]半ば以降という事になる。[[エイレナイオス]]と[[テルトゥリアヌス]]もペトロの第一の手紙に言及しているが、[[170年]]ごろの[[ムラトリ断片]]の正典表には含まれていない。これは当時の西方でペトロの手紙一が受け入れられていなかったということである。しかし、『ペトロの手紙一』および『[[クレメンスの第一の手紙]]』、『[[ヘルマスの牧者]]』の三つはローマ教会の優位にふれた最初期の書物であることを考えると、これが正典表からはずされているのは奇妙なことである。
 
==「地獄陰府」とペトロの手紙一==
本書の記述で注目すべきものは「終わりのときに、死者にまで福音が告げ知らされ、肉において裁かれ、神のうちに霊によって生きるようになる」(4:6)というものである。このような章句表現新約聖、福音(マタイ16:18の箇所には一切並)や使徒言箇所が存在しない。こ録2:27、ヨハネ黙示録(1:18他)に出てくる[[ハデス]]の表現と共に、後に使徒信条に「陰府にくだり」という箇所で書き込まれることになり、以降のキリスト教思想において「[[地獄陰府]]」の存在根拠のひとつとされることになる。
 
==脚注==