「ラージェーンドラ・プラサード」の版間の差分

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==来歴==
[[カルカッタ]]の[[プレジデンシー大学]]で卒業後弁護士となるも、[[1916年]]に大学を退職して[[マハトマ・ガンディー|ガンディー]]の[[不服従運動]]に参加。4度も投獄された経験を持っている。戦後は全印国民会議(憲法制定議会)のメンバーに選出される。
 
[[1932年]][[1月4日]]、[[ガンジー]]と共に拘束された[[ヴァッラバーイ・パテール]]の後任として全印国民会議派長に任命される。その後[[1934年]]、[[1939年]]、[[1947年]]の3度選出される。独立前の[[1946年]]には食料農業相。
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