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初代首相(外相兼任)には[[ジャワハルラール・ネルー]]が、副首相兼内相には{{仮リンク|サルダール・V.J.パーテル|en|Vallabhbhai Patel}}が就任し、この新内閣が行政権を行使した。また、1946年12月から1950年まで憲法制定議会が立法権を行使し、それは[[インド憲法]]の施行後、総選挙で成立したインド連邦議会に継承された。司法権は新設置のインド最高裁判所に移行した。さらに憲法制定議会議長の[[ラージェーンドラ・プラサード|R.プラサード]]が大統領に、憲法起草委員長の[[ビームラーオ・アンベードカル|B.R.アンベードカル]]が法務大臣に就任した。こうして憲法施行とともに政治の大権は国民の側に移された。
 
[[インド憲法]]に書かれた正式国名は「Indian Sovereign Socialist Secular Democratic Republic」であり'''社会主義共和国'''を標榜している。独立後は他の社会主義国ほど義務教育の完全普及や身分差別廃止の徹底はうまくいかず、近年においても小学校さえ行けない子も多く貧富の差も激しいが、不可触賎民出身の大統領([[コチェリル・ラーマン・ナラヤナン]])や大臣([[アンベードカル]])も出るなど特例も出てきている。
 
しかし、インド内のヒンドゥー教徒とイスラム教徒の争いは収拾されず、1947年8月15日、[[イスラム教]]国家の[[パキスタン (ドミニオン)|パキスタン]]との[[インド・パキスタン分離独立|分離独立]]となった。前日には、インドを東西から挟むパキスタンが誕生していた。
 
[[1948年]][[1月30日]]、マハトマ・ガンディーは、ムスリムに対するガンディーの「妥協的」な言動に敵意を抱いていた、かつてヒンドゥー教の[[マラータ同盟]]のあった[[マハーラーシュトラ州]]出身の{{仮リンク|ヒンドゥー至上主義|en|Hindutva}}活動家の{{仮リンク|ナートゥーラーム・ゴードセー|en|Nathuram Godse}}によって、同じヒンドゥー教の{{仮リンク|マールワール|en|Marwar}}商人[[ビルラ]]の邸で射殺された。独立当初は[[イギリス国王]]を[[君主]]に戴く[[英連邦王国]]([[インド連邦 (ドミニオン)|インド連邦]])であり、1950年に共和制に移行しが、政教分離の'''[[世俗主義]]'''という柱で国の統一を図ることになり、1950年に共和制に移行した。
 
[[1948年]][[9月13日]]、{{仮リンク|ポロ作戦|en|Operation Polo}}でインドが[[ニザーム王国]]を併合。
 
[[1949年]][[11月26日]]に成立した[[インド憲法]]に書かれた正式国名は「Indian Sovereign Socialist Secular Democratic Republic」であり'''社会主義共和国'''を標榜している。独立後は他の社会主義国ほど義務教育の完全普及や身分差別廃止の徹底はうまくいかず、近年においても小学校さえ行けない子も多く貧富の差も激しいが、不可触賎民出身の大統領([[コチェリル・ラーマン・ナラヤナン]])や大臣([[アンベードカル]])も出るなど特例も出てきている。
 
東西冷戦時代は、[[非同盟]]運動に重要な役割を果した国であった。長期にわたって[[国民会議派]]が政権を担った。パキスタンとの対立はその後も続き、[[カシミール#カシミール問題|カシミール問題]]と[[バングラデシュ|東パキスタン]]を原因として、3度の[[印パ戦争]]が勃発した。両国の対立は現在も続いている。
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