「オゴデイ・ウルス」の版間の差分

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[[1229年]]、オゴデイが大ハーンとなると、オゴデイはモンゴル高原の中央である[[ハンガイ山脈]]山麓の[[カラコルム]]地方に移り、エミルの牧地とウルスはオゴデイの長男[[グユク]]に譲られた。グユクは[[1246年]]に父を継いでハーンに即位するが、エミルのウルスは自身で所有したままカラコルムに移った。こうしてオゴデイ・ウルスは大ハーンの直轄領として帝国中央から自立した政権とはますます言い難い状況になるが、2年後の[[1248年]]、グユクはエミルの自分の所領に巡幸中に急死した。
 
グユクの死後、実力で第4代ハーンの座を奪取したオゴデイの弟[[トルイ]]の子[[モンケ]]は、権力の座を追われたオゴデイの遺児たちがチャガタイ家と結んでモンケ暗殺をはかった事件をきっかけにオゴデイ家の大粛清を行った。これによりグユクの寡婦[[{{仮リンク|オグルガイミシュ]]|en|Oghul Qaimish}}を含むオゴデイ家の有力者が追放・処刑され、グユクが持っていたオゴデイ家の所領も生き残りの王族の間に細分して与えられ、オゴデイ・ウルスは事実上解体した。
 
モンケの死後、その弟[[クビライ]]と[[アリクブケ]]がハーン位をめぐって争い、オゴデイ家へかかる圧力が軽減されると、オゴデイ家の諸王子の中からオゴデイの孫[[カイドゥ]]が台頭した。カイドゥはやがてチャガタイ・ウルスやアリクブケの諸子のウルスをまとめる盟主へと成長し、定住民の居住する[[トランスオクシアナ]]の旧大ハーン直轄領を支配下に収めた。しかし、オゴデイ一門の中でもオゴデイの子[[コデン]]に属するウルスなど、[[河西回廊|河西]]([[甘粛省]])にいた諸王族はクビライの[[元 (王朝)|大元]]に従って、カイドゥらと対立しており、かつてのオゴデイ・ウルスが全ウルスをあげてカイドゥに従ったわけではない。