「蝦夷管領」の版間の差分

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鎌倉幕府草創期より[[蝦夷地]]は重犯罪人の流刑地になっており、蝦夷管領は流人達の送致、監視が主な役目といわれている。また、蝦夷との交易にも関与していたと推定されている。
 
[[建保]]5年(1217年)、時の[[執権]]・[[北条義時]]が[[陸奥国|陸奥]][[国司|守]]となったころ、[[安藤堯秀|安藤太郎堯秀]]を蝦夷管領に任命したのがはじまりといわれているが、[[安東氏|安藤氏]]の系図には異伝が多く詳しいことは分かっていない。
 
この職は[[安東氏|安藤氏]]の世職で、政務を行う役所・営所は[[津軽地方|津軽]]の[[十三湊]]にあったという。しかし、諸史料によると安藤氏は[[得宗|北条得宗家]]の代官として配置されたとなっているため、実際には得宗家のための役職であって、北条家の委託を受けた安藤氏が交易船からの収益を徴税し、それを北条得宗家に上納していたと推定されている。
 
[[鎌倉幕府]]滅亡後、安藤氏は[[安東氏]]と姓の表記を変え、「東海将軍」「日の本将軍」を名乗り蝦夷管領家の権威権限を実際に行使するかたちで蝦夷地を統治していたことが分かっているが<ref>[[海保嶺夫]] 『エゾの歴史』 [[講談社]]、1996年、ISBN 4062580691</ref>、この安東氏とはまた別に安藤氏の子孫を名乗る家系もあり、その詳細は今後の研究に委ねられている。