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== 概要 ==
田宮模型(現・[[タミヤ]])のお膝元・静岡市に生まれた影響か、幼少の頃からミリタリーの[[プラモデル]]に興味をもち、中学生時代に3つ年上の兄の影響で[[ウォー・シミュレーションゲーム]]に触れる。兄は深くハマる事はなかったが、本人はシミュレーションゲームの世界にはまり込んでいき、専門誌も買い始めた。『[[タクテクス]]』4号の海戦ゲーム特集の[[鈴木銀一郎]]の記事を見て、ゲームデザイナーという仕事の存在を知る。憧れはあったが、自分がゲームデザイナーになるとは思っていなかったという。当時はシミュレーションゲームと重なるジャンルであった[[テーブルトークRPG]]も遊ぶようになった。
 
高校時代にゲーム仲間とともにアナログ・シミュレーションゲーム同人誌「アウトバーン」を発行し、自らも(Red-me……赤い[[メッサーシュミット]])のペンネームで執筆した。この「アウトバーン」が、優れた編集がされているということで[[鈴木銀一郎]]の目に止まり、[[シミュレイター]]誌でライターとしてデビューした。高校卒業後、藤浪は新シミュレイターの発行元・[[翔企画]]に編集部員として入社した。以後、数多くのゲーム記事とゲーム製作に関わることになる。公的な活動は少ないもののイラストも手がけており、商業ゲーム誌にもたびたびイラストを寄稿している。
 
1985年のシミュレイター新1号で書かれた[[ローズ・トゥ・ロード]]の[[リプレイ (TRPG)|リプレイ]]「七つの祭壇」は、ゲームの解説記事である以上に「読み物」として書かれた初めてのリプレイで、藤浪の知名度を大きく高めることになった。[[菊池たけし]]もこの記事で衝撃を受け、テーブルトークRPGとリプレイに強い関心を持つようになったという。この記事はあえて手書きで書かれていて、その代わりにイラストや図版を多彩に用い、ワープロでは不可能な「絵物語」のような独特のレイアウトがされていた。この形式の記事は、[[鈴木猛]]や[[速水螺旋人]]が作風に影響を受けている。現在でも、藤浪の記事は絵物語的なレイアウトのものが多い。