「青鞜」の版間の差分
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m 元の【"Blue Stocking"の和訳。ブルーストッキングは、19世紀にロンドンで始まった黒でない綠の長靴下、転じて、趣味のいい婦人の意、という。】という間違いを直した。 |
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[[生田長江]]が[[平塚らいてう|平塚明]](はる。当時25歳)に、女性だけの[[文芸誌]]の発行を勧め、迷う平塚を、[[日本女子大学]]の同窓、保持研子(やすもちよしこ。26歳)が後押しした。知友を訪ねて誘い、2人と'''中野初子'''(25歳)、'''木内錠子'''(ていこ。24歳)、物集和子(もずめ。23歳)が発起人となり、1911年(明治44年)9月、『青鞜』を創刊した。一千部が、全国にはけた。
『青鞜』の名は、[[生田長江]]がつけた。"
創業時の社員は、岩野清子([[岩野泡鳴]]の内縁の妻)、'''[[茅野雅子]]'''、'''[[田村俊子|田村とし子]]'''、'''[[野上弥生子|野上八重子]]'''、[[水野仙子]]ら18人、賛助員は、[[長谷川時雨]]、[[与謝野晶子]]、森しげ子([[森鴎外]]の妻)、[[小金井喜美子]]、[[岡田八千代]]、[[国木田治子]]ら7人だった。社員は会費を納めた。そして平塚の母が資金を援助した。
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