「ニヒリズム」の版間の差分

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== 概要 ==
ニヒリズムという語は、1733年にドイツ人Friedrich Lebrecht GoetzがドイツDe nonismo et nihilismo in theologia caeterisque eruditionis partibus obviotというラテン語の書でラテン(Nihilismus)で用いている。連続論に対置された原子論の意味だった。今まで最高の価値と人々がみなし、目的としていたものが無価値となった歴史的事態のことを言うときが多い。
[[心理学者]]を自認する[[フリードリヒ・ニーチェ|ニーチェ]]によれば、ニヒリズムは上記のような「精神状態」で、2080年ごろまで続くことになるが、このニヒリズムにおいて私たちが取りうる態度は大きく分けて2つある。
#すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度(強さのニヒリズム、能動的ニヒリズム)。
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ニーチェは前者を肯定し、[[永遠回帰]]の思想の下、自らを創造的に展開していく、[[鷲]]の勇気と[[ヘビ|蛇]]の知恵を備えた「[[超人]]」になることをすすめた。社会的には、どんな事態でも傍観する姿勢から、ある種の攻撃性があると考える。キリスト教をニーチェがニヒリスティックだとして批判するときは、現世を無化矮小化しているという意味での、ニーチェ固有の語法でのニヒリズムを見ている。
 
[[ハイデガー]]によれば、ニヒリズムの温床は、現実や現世からの超越を主張する[[形而上学]]的立場だとされる。したがって「ニヒリズムの超克」という視点は、「超克」ということにおいてキリスト教サイドから、それ自身がニヒリズムとされ、キリスト教ニヒリズムの克服を主張したニーチェは「最後のニヒリスト」と見なされる。「ニーチェの最も過激な門人」と評される[[エルンスト・ユンガー]]は、現代世界は、ニヒリズムの境界を通過したと言い、ハイデガーとニヒリズム論を交換している。
 
<!-- 量、質ともにきちんとした記述にすべきでは?
== ニヒリズムの超克 ==
存在しない形而上学的な原理を追い求めることは過程であり、迷いながらも自己を否定せずそれを理解すること。
-->
 
== 代表的な人物 ==