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=== 北伐の最中の粛清 ===
[[File:Wang Tianpei2.jpg|thumb|200px|王天培別影]]
同年7月、王天培は[[国民政府]]から[[国民革命軍]]第10軍軍長に任命された(弟の天錫も同軍副軍長兼第28師師長となる)。同時に国民革命軍第9軍軍長に任命された彭漢章とともに、[[北伐]]に参戦する。第9軍と第10軍は湖南省で[[沈鴻英]]を撃破すると、12月には[[北京政府]]の長江上遊司令[[盧金山]]と四川軍指揮官[[楊森 (四川)|楊森]]の連合軍を撃破した。まもなく国民革命軍第12軍軍長袁祖銘と彭は、[[蒋介石]]の指示を受けた国民革命軍第8軍軍長[[唐生智]]に粛清されたが、<ref>これは、湖南省の統治権を脅かされることを恐れた唐生智が先手を打ったものと見なされている。蒋介石も、国民党との関係が薄い袁・彭への警戒感は強かった。唐は、王の粛清も蒋に求めていたが、王は本文にある通り、国民党への親和性が強い経歴・思想の持ち主であった。そのため、この時点での粛清は免れたものと見られる。</ref>王天培は引き続き北伐に参加している。<ref>『天柱県志』(1993)、878頁。</ref><ref name=Xu/><ref name=Liu/>