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* 鵯越:12世紀末、[[治承・寿永の乱]](源平合戦)の折りに[[一ノ谷の戦い|一ノ谷]]に陣を構えた平家の軍を攻めるため源氏は、海岸沿いから正面を攻める軍勢と背後の山地から奇襲を行う軍勢の二手に分かれた。[[源義経]]率いる奇襲部隊が目指した平氏の背後の山は「鵯越(ひよどりごえ)」と呼ばれる崖のごとき急坂で、とても軍の主軸である騎馬を下ろせるルートではないと思われた。しかし現地の者からこの鵯越をシカが通っていることを聞いた義経は「鹿も四つ足、馬も四つ足、鹿が越す坂ならば、馬も越せぬ道理はない」とこの急坂を駆け下りるよう軍勢に指示した。これが「鵯越の逆落とし」である。このルートからの奇襲など全く念頭になかった平家は3千騎とも言われる源氏の奇襲に慌てふためき、一気に総崩れとなった。ただし現在の[[六甲山]]には鹿は生息していない。また過去に生息していたかどうかも不明。
* [[児玉党]]の武士である[[富田親家]]は、[[和田合戦]]時、[[和田氏]]軍に味方し、幕府軍に捕えられるも、[[源実朝]]の御前で[[奥州]]産の大鹿の角を一度に2本へし折る力芸を見せたことで、助命され、領地まで与えられている。
* [[本多忠勝]] - 鹿の角を使用し象った「鹿角脇立兜」で知られる。
 
=== 衝突事故 ===