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'''伊秩 弘将'''(いぢち ひろまさ、[[1963年]][[4月26日]] - )は、[[東京都日本]][[港区 (東京都)|港区]]出身の[[音楽プロデューサー]]、[[作詞家]]、[[作曲家]]。[[ケイダッシュ]]グループ・アワーソングスクリエイティブ所属。[[ABO式血液型|血液型]]はO型。
 
==来歴・人物==
[[ケイダッシュ]]グループ・アワーソングスクリエイティブ所属。
 
[[渡辺美里]]、[[森高千里]]、[[久宝留理子]]、[[谷村有美]]などの数多くの人気ガールポップ歌手を中心に、良質でポップな楽曲を地道に着実に提供し続け、[[小室ブーム]]という社会現象にまで至った[[小室哲哉]]を象徴とする外部プロデューサー時代全盛期の1990年代後半には[[SPEED]]を筆頭に、[[ガーデンズ]]、[[deeps]]、[[八反安未果]]などのプロデュースで一躍脚光を浴び、前出の小室哲哉、[[小林武史]]、[[つんく]]などと並んで“人気[[音楽プロデューサー]]”と称され、もてはやされた。伊秩も他の大物プロデューサー同様、様々なアーティストからのプロデュース依頼、楽曲提供依頼などが殺到し、[[映画]]や[[テレビドラマ]]の[[サウンドトラック]]制作をはじめ、単独でのテレビ出演、伊秩名義でのエッセイ&作詞集の発売など、それ以前にはあまり着手しなかったような仕事も積極的に引き受け、仕事の幅を広げた。
 
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==略歴==
[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]出身。[[千代田区立番町小学校]]、[[千代田区立麹町中学校|麹町中学校]]在学中に、既に150曲以上の作品を作る。
*[[1985年]] - [[神田外語学院]]卒業後、一旦就職するが、「ここは自分の場所じゃないとわかった。」という理由でわずか1週間で退社。その後、夢を実現させるために、約200本の[[デモテープ]]を各レコード会社に持ち込んだという。バイト先は、六本木の音楽関係者が打ち合わせに来るカフェを選び、コーヒーを置くと同時に、デモテープを渡していた。同時にピアノ弾き語りのライブ活動も精力的に行った。
*[[1986年]] - [[shibuya eggman]]のデモ審査の落選通知には「落ちるわけがない。」と主張して出演し、そのライブ音源が[[渡辺美里]]のスタッフの耳に届いた。そしてちょうど20年後の2006年春[[shibuya eggman]]で行われた25周年記念イベントにゲストとして出演を依頼され、ピアノ1本の弾き語りで参戦、リベンジを果たす。