「機甲師団」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
1行目:
'''機甲師団'''(きこうしだん)とは、[[戦車]]部隊を中心に、戦車に随伴する[[自動車化歩兵|自動車化]]・[[機械化歩兵|機械化]]された[[歩兵]]部隊、同じく自動車化された[[工兵]]・[[砲兵]]・[[偵察]]・通信などの諸[[兵科]]の部隊から構成される[[師団]]のこと
[[第一次世界大戦]]後に塹壕戦から運動戦への戦術開発の結果、[[第二次世界大戦]]で真価を発揮した電撃作戦の主体となった。第二次世界大戦当時、米英軍では歩兵師団は既に自動車化されており、現代では先進国の場合、歩兵師団と言えども多数の戦車を配備され、歩兵も[[装甲兵員輸送車]]、[[歩兵戦闘車]]に運ばれ、機甲師団との違いは大きくない。本項においては主に第二次世界大戦における機甲師団の誕生と発展について述べる。
== 機甲師団の特徴 ==
101 ⟶ 103行目:
----
=== 大戦期のイギリス
最初の機甲師団である第1
:*第1
::(イギリス機甲部隊における連隊は同時期のドイツ軍における大隊とほぼ同規模)
イギリス軍は歩兵戦車・[[巡航戦車]]二分論にとりつかれ、バランスの取れた[[主力戦闘戦車]]の登場が遅れ、アメリカからの兵器供与頼みが続いた。歩兵戦車は独立戦車旅団に配備され、
*1939年9月にエジプト機動師団が改編・改称され、エジプト
*1939年12月15日にイギリス本土にて第2
*1940年2月16日にエジプトにてエジプト
*1940年9月12日にイギリス本土にて第6
*1940年11月4日にイギリス本土にて第8
*1940年12月1日にイギリス本土にて第9
*1941年3月9日にイギリス本土にて第11
*リビアにてドイツ軍の攻撃により師団司令部が壊滅した第2
*1941年6月17日にイギリス本土にて近衛
*1941年8月1日に中東にて第10
*1941年11月1日にイギリス本土にて第42
*1942年8月14日にイギリス本土にて第79
*1943年1月1日にエジプトにて第8
*1943年10月17日にイギリス本土にて第42
*1944年6月15日にエジプトにて第10
*1944年7月31日にイギリス本土にて第9
*1945年1月11日にイタリアにて第1
==== アフリカ戦線([[エル・アラメインの戦い]]以前) ====
|