「イギリスのカトリック」の版間の差分

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Kinno Angel (会話 | 投稿記録)
「聖座」を「教皇庁」に。ノート:聖座を御参照下さい。また、「使徒座」「聖座」の術語の扱いについて、編集者同士の認識共有に危ういものを感じますので御留意頂ければと思います
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1707年の[[グレートブリテン王国]]成立の遥か前から、カトリック教徒は[[イングランド王国|イングランド]]や[[スコットランド王国|スコットランド]]において様々な方法で[[イギリスにおける反カトリック主義|差別]]を受けていた。[[ブリテン諸島]]の全ての王国で、彼らは投票する権利を与えられず、議会や学識を持つ職業から除外された。1801年に[[グレートブリテン及びアイルランド連合王国]]を成立させた[[連合法 (1800年)|連合法]]の後にも、そういった差別状態は続いた。その頃、{{仮リンク|プロテスタントの優位性|en|Protestant Ascendancy}}がそれでも圧倒的な力を誇っていた中で、{{仮リンク|カトリックの解放|en|Catholic Emancipation}}は勢いを増していたが、まだ現実味を帯びていなかった。
 
1707年の{{仮リンク|合同法|en|Treaty of Union}}では[[王位継承法]]と同様に、「{{仮リンク|教皇主義者|en|Papist}}(プロテスタント教徒がカトリック教徒を蔑んで使う言葉)」は[[イギリス王位継承順位|王位を継承する事]]が出来ないと定められた<ref>[http://www.scotshistoryonline.co.uk/union.html The Treaty of Union 1706] scotshistoryonline.co.uk, accessed 15 February 2009 - see article 2</ref>。この処置でさえ1780年の{{仮リンク|ゴードンの暴動|en|Gordon Riots}}という反発に終わり、継続する反カトリック感情の根深さを示す結果になったが、ローマ・カトリック教徒の市民権の制限は、彼らに財産を保有する権利や、土地の相続やイギリス陸軍に入る事を許した{{仮リンク|1778年のパピスト法|en|Papists Act 1778}}が可決されて変わり始めた。半世紀以上後には、イギリスが[[聖座ローマ教皇庁]]そのものと同盟を結んだように[[ポルトガル王国|ポルトガル]]や[[スペイン]]といったカトリック国家とも結んだ時、[[ナポレオン戦争]]の間にカトリックの世界と和解する事に加えて、[[フランス革命]]から逃れて来た数千人のカトリック教徒が流入して来た事が、ローマ・カトリック教徒に投票する権利や公的な事務所を保有する事を含めて殆ど平等な市民権を与えるという内容の{{仮リンク|1829年のローマ・カトリック教徒救済法|en|Roman Catholic Relief Act 1829}}を議会が可決する事を容認する程に、1829年までに政治的風潮が十分に変わっていた事を示していた。
 
[[ジャガイモ飢饉]]やその後のアイルランドからの大規模な移民がその後に続き、[[イングランド]]、[[ウェールズ]]、[[スコットランド]]でのカトリック教徒の数は増加した。1850年には、教皇[[ピウス9世 (ローマ教皇)|ピウス9世]]がイングランドとウェールズの聖職位階制を復活させた。その直後の1878年に教皇[[レオ13世 (ローマ教皇)|レオ13世]]によってスコットランドの聖職位階制が復活された<ref>[http://www.archdiocese-edinburgh.com/ Roman Catholic Archdiocese of St Andrews and Edinburgh] archdiocese-edinburgh.com, accessed 15 February 2009</ref>。それ以来、[[ジョン・ヘンリー・ニューマン]]、[[オーガスタス・ウェルビー・ノースモア・ピュージン]]、[[ミュリエル・スパーク]]、[[ジェラード・マンリ・ホプキンス]]、[[ギルバート・ケイス・チェスタートン]]、[[ロナルド・ノックス]]、[[イーヴリン・ウォー]]、[[グレアム・グリーン]]、{{仮リンク|マルコム・マガリッジ|en|Malcolm Muggeridge}}、そして{{仮リンク|ジョセフ・ピアース|en|Joseph Pearce}}といった多くの著名人がカトリックに改宗した。[[キャサリン (ケント公爵夫人)|キャサリン夫人]]といった王室の一員や[[トニー・ブレア]][[イギリスの首相|元首相]]も退任後の2007年12月にカトリックに改宗した<ref>{{cite news |url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/7157409.stm |title=Tony Blair joins Catholic faith |author= |work=BBC News online |date=22 December 2007 |accessdate=2007-11-22}}</ref><ref>Francis Beckett and David Hencke, ''The Survivor: Tony Blair in War and Peace'', 2005, Aurum Press Ltd, ISBN 978-1-84513-110-4</ref><ref>Francis Beckett and David Hencke, [http://politics.guardian.co.uk/bookshelf/story/0,9061,1314216,00.html "Regular at mass, communion from Pope. So why is Blair evasive about his faith?"],''The Guardian'', September 28 2004</ref><ref>Ruth Gledhill, Jeremy Austin and Philip Webster, [http://www.timesonline.co.uk/tol/news/politics/article1801237.ece "Blair will be welcomed into Catholic fold via his 'baptism of desire'"], ''The Times'', May 17 2007</ref>。