「早川勝 (政治家)」の版間の差分

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|職名2 = 第29・30・31代 豊橋市長
|当選回数2 = 3回
|就任日2 = 1996年11月17日
|退任日2 = 2008年11月16日
|退任理由2 =
}}
 
== 経歴 ==
[[愛知県立時習館高等学校]]、[[愛知大学]][[法経学部]]経済学科卒業。[[立教大学]][[大学院]]経済学研究科修士課程修了。[[日本社会党]]職員を経て、[[1986年]]の[[第38回衆議院議員総選挙]]に社会党公認で[[愛知県第5区_(中選挙区)|旧愛知5区]]から出馬し、初当選。[[1991年]]5月、[[土井たか子]][[日本社会党委員長]]の辞任により、後任の委員長に就任した[[田邊誠]]の下、党政策審議会長、[[社会党シャドーキャビネット]]官房長官に就任。[[1992年]]のは[[国際連合平和維持活動等に対す務め協力に関する法律|PKO国会]]では政府案を一旦は廃案に追い込んだが、与党側の巻き返しによりPKO協力法は成立。社会党は同年7月の[[第16回参議院議員通常選挙]]で敗北し、1993年に田邊委員長が辞任したのに伴い、早川も政策審議会長を離任
 
[[1986年]]7月6日に行われた[[第38回衆議院議員総選挙]]に、[[愛知県第5区_(中選挙区)|旧愛知5区]]から[[日本社会党|社会党]]公認で出馬し、初当選。
 
[[1990年]]2月18日に行われた[[第39回衆議院議員総選挙]]に、旧愛知5区から出馬し、当選(2期目)。
 
[[1991年]]5月、[[土井たか子]][[日本社会党委員長]]の辞任により、後任の委員長に就任した[[田邊誠]]の下、党政策審議会長、[[社会党シャドーキャビネット]]官房長官に就任。[[1992年]]のは[[国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律|PKO国会]]では政府案を一旦は廃案に追い込んだが、与党側の巻き返しによりPKO協力法は成立。社会党は同年7月の[[第16回参議院議員通常選挙]]で敗北し、1993年に田邊委員長が辞任したのに伴い、早川も政策審議会長を離任。
 
[[1993年]]7月18日に行われた[[第40回衆議院議員総選挙]]に、旧愛知5区から出馬し、当選(3期目)。
 
[[1994年]]6月、[[村山内閣]]の成立後、[[村山富市]]首相の発案により新設された[[内閣総理大臣補佐]]に就任<ref>「内閣総理大臣補佐」の原型は[[細川内閣]]で[[新党さきがけ]]の[[田中秀征]]が務めた非公式のポストである「内閣総理大臣特別補佐」で、村山が首相就任後、公式に「内閣総理大臣補佐」のポストが設置され、後に「[[内閣総理大臣補佐官]]に改められた。</ref>。
 
[[1996年]]1月党名変更[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]結党に参加するも、9月には社民党を離党し、[[民主党 (日本 1996-1998)|旧民主党]]に合流。[[1996年]]10月20日の[[第41回衆議院議員総選挙]]には出馬せず、同年11月の豊橋市長選挙に出馬し当選した。[[2000年]]、[[2004年]]の市長選でもを果たす
 
[[2008年]][[11月9日]]の豊橋市長選挙に4選を目指して出馬したが、元[[国土交通省|国土交通]][[官僚]]の[[佐原光一]]、前[[愛知県議会]]議員の[[小久保三夫]]に次ぐ3位で落選した。
 
== 脚注 ==
1,210

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