「レイ・チャールズ」の版間の差分

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「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第2位。
== 生涯 ==
6歳の頃、仲の良かった弟のジョージ・ロビンソンを亡くした。その9か月後、[[緑内障]]のために失明した。目が見えないというハンディを背負いながらも[[ピアノ]]を学び、また[[盲学校]]に通う。1947年に[[シアトル]]に移り、この頃[[クインシー・ジョーンズ]]と出会う。初期の頃はレイ・ロビンソンの名で活動、この頃より[[マリファナ]]や[[ヘロイン]]等の[[麻薬]]に手を出している。後に[[シュガー・レイ・ロビンソン|同名のボクサー]]がいるため、ミドルネームのレイ・チャールズに改名。自己バンドでツアーを行っているうちに、[[アトランティック・レコード]]より声を掛けられ契約する。1959年の「ホワッド・アイ・ セイ」が自身初の[[ミリオンセラー]]である。人気を高める一方で、[[ゴスペル (音楽)|ゴスペル]]を大胆にアレンジしていたことから、敬虔な[[クリスチャン]]からは非難されていた。
 
1959年に、アトランティックとの契約切れを期に[[ABCレコード]]と契約、1961年に代表曲の一つとなる「[[我が心のジョージア]]」を発表、ミリオンセラーを記録。一方でこの曲は大衆化してしまったと批判する者もいた{{誰|date=2009年4月}}。
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