「沿海地方」の版間の差分

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沿海地方は歴史的には[[ツングース]]系などの北方諸民族が活動してきた地域で、[[渤海 (国)|渤海]]や[[金 (王朝)|金]]などの統治下に置かれた。またツングース系の[[満州人]]が建国した[[清]]の故地・[[満州]]の一部で、中国人などの入植は規制されていた。この地方は多くの毛皮が採れるほか、この地を通じた山丹貿易で[[樺太]]の[[アイヌ]]のもたらす毛皮も多く、清にとっては[[毛皮]]の産地として重要であった。西洋人には[[満州民族]]の居住地、[[満州]]の一部([[外満州]])として知られる。[[19世紀]]には清の入植規制が緩み、[[李氏朝鮮]]の圧政を逃れてきた[[朝鮮民族]]も定住した。
 
[[1860年]]に[[北京条約]]において[[清]]に[[アロー戦争]]仲介の代償だとして割譲を要求した[[ロシア帝国]]の領有となり、ロシアはこの地に[[樺太|サハリン島]](現在のサハリン州)を加えた行政区として[[沿海州]](プリモルスキー州)を置いた。沿海州の南部である現在の沿海地方には軍港[[ウラジオストク]]が建設され、ロシアの[[太平洋]]への出口となった。また[[シベリア鉄道]]の終点でもあり、ロシアにとってアジアへの進出拠点というその存在意義は大きいものとなっていった。逆にその後の中国にとって日本海への出口を失ったことになる。ロシアはここからさらに満州全体、[[朝鮮]]へと勢力を伸ばし、全満州を勢力圏に置いたが、日本と衝突して日露戦争となった。
 
[[ロシア革命]]に対抗する[[日本]]の[[シベリア出兵]]の際には、[[日本軍]]が全域を占領し、[[アレクサンドル・コルチャーク]]ら[[白系ロシア人|白軍]]を主体とした'''沿海州共和国'''([[:en:Provisional_All-Russian_Government|Provisional All-Russian Government]])を建国したが、日本の介入は失敗に終わり、[[赤軍]]によって[[極東共和国]]は[[ソビエト連邦]](ソ連)に併合された。[[1938年]]、ソ連は沿海州を分割し、現在の沿海地方とその西に位置する[[ハバロフスク地方]]が初めて設置された。