「マリ共和国」の版間の差分

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独立によって[[トゥアレグ|トゥアレグ族]]居住地は、マリ共和国・[[アルジェリア]]・[[ニジェール]]に分割されて抗議の声が高まり、さらに冷戦下で重要性の高まっていた域内[[アガデス州]]の[[アーリット]]と[[アクータ鉱山]]から産出する[[ウラン]]の軍事的重要性などの複合的な要因から、{{仮リンク|第1次トゥアレグ抵抗運動|en|First Tuareg Rebellion}} (1962年-1964年)が勃発した。産出するウランの一部は日本に出荷されている。
 
[[モディボ・ケイタ]]大統領のもとで社会主義政策が推進されたが徐々に行き詰まり、1968年に[[ムーサ・トラオレ]]のクーデタが発生し、長い軍事独裁体制の時期に入った。1979年に民主化運動が成功し、単一政党マリ人民民主同盟が結成された。選挙によって大統領が選出されたが、クーデターが起こり、実権はクーデター派に移った。[[1991年]]に暫定政府が発足。翌[[1992年]]に憲法を制定し、大統領選挙が行われた。1968年以来の軍事政権時代が終わった。
 
[[1985年]]、[[:en:Agacher Strip War]]([[12月14日]] - [[12月30日]])。
 
[[1991年]]に暫定政府が発足。翌[[1992年]]に憲法を制定し、大統領選挙が行われた。1968年以来の軍事政権時代が終わった。
 
北部では[[トゥアレグ|トゥアレグ族]]の[[:en:Popular Movement for the Liberation of Azawad]](MPLA)と[[:en:Arab Islamic Front of Azawad]](FIAA)が過激な分離闘争({{仮リンク|トゥアレグ抵抗運動 (1990年-1995年)|en|Tuareg rebellion (1990–1995)}}。)を繰り返してきたが、[[1996年]]に武装解除が行われた。しかし、[[2006年]]に{{仮リンク|イブラヒム・アグ・バハンガ|fr|Ibrahim ag Bahanga}}が反政府武装組織「{{仮リンク|5月23日同盟|en|May 23, 2006 Democratic Alliance for Change}}」(ADC)を結成し、マリ北部において再び武装闘争を展開({{仮リンク|トゥアレグ抵抗運動 (2007年-2009年)|en|Tuareg rebellion (2007–2009)}})。[[2011年リビア内戦]]に参加することによりさらに戦闘能力や武器を強化した。
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