「アルジェリア」の版間の差分

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=== 独立 ===
[[1962年]][[7月5日]]にアルジェリア民主人民共和国として独立を達成し、[[8月4日]]に誕生した初代の[[ベン・ベラ]]大統領は[[社会主義]]政策を採り、[[キューバ革命]]後の[[キューバ]]と共に[[非同盟]]運動と世界革命路線を推進した。一方、独立によって[[トゥアレグ|トゥアレグ族]]居住地は、マリ共和国・[[アルジェリア]]・[[ニジェール]]に分割されていたが、冷戦下で重要性の高まっていた域内[[アガデス州]]の[[アーリット]]と[[アクータ鉱山]]から産出する[[ウラン]]を巡って、{{仮リンク|第1次トゥアレグ抵抗運動|en|First Tuareg Rebellion}} (1962年-1964年)が勃発した。産出するウランの一部は日本に出荷されている。[[1963年]]10月、[[西サハラ]]国境([[ティンドゥフ県]]、[[:{{仮リンク|ベシャール県|en:|Béchar Province]]}})をめぐる{{仮リンク|砂戦争|en|Sand War}}で[[モロッコ]]と交戦。
 
[[1965年]]に{{仮リンク|ウアリ・ブーメディエン|en|Houari Boumediene}}が軍事クーデターでベン・ベラ政権を打倒し、ベン・ベラを幽閉した。ブーメディエンは、現実的な国造りを進め、社会主義政策に基づいて経済成長を達成した。[[1976年]]、[[:en:First Battle of Amgala (1976)]]で[[モロッコ]]と交戦し[[:{{仮リンク|西サハラ戦争|en:|Western Sahara War]]}}([[1975年]] - [[1991年]])に参戦した。1978年にブーメディエンが死去した後、1980年代に入ると[[アルジェリア民族解放戦線|民族解放戦線]](FLN)の[[一党制]]によるアラブ人主導の国造りに対して、[[ベルベル人]]からの反発が高まった。
 
進行していた経済危機の影響もあって[[1989年]]に憲法が改正され、[[複数政党制]]が認められた。
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